ああ汝 漂泊者:世田谷文学館『月に吠えよ、萩原朔太郎展』を見る

工事中の切通しの鉄道線路の真中に3人のあどけない少女が立ち、カメラを見つめている。たぶん(室生)朝子さんと葉子さんと明子(あきらこ)さん、3人と撮影者の行く末を知っている未来の私は、写真に封じ込められた一瞬の幸福に息を呑んだ。

「烈風の中を突き行く汽車」で、朔太郎が葉子さんと明子さんを伴って郷土前橋に帰ったのは1929年。品鶴貨物線(今の横須賀線)が開通したのも同じ1929年だから、これは馬込時代の終わりに撮られた写真なのだろう(写真撮影不可)。私の好きな後期の詩作が始まるのはそれからである。

高校の国語の授業で知って以来、朔太郎の詩はマーラーの交響曲とともに(こちらは中学生時代のラジオだが)私の血肉である。どの詩句を見てもすらすらと次の詩句が思い浮かぶくらい耽溺し、とうとう博士論文の第1章も朔太郎を題材にしてしまった。歴史の研究の方は歴史学者に一蹴されたが、こちらはどこからも反応はない。いや、歴史の方はがっかりしたけれど、こちらはがっかりしない。あまりに極私的な関心だから。書きたいから書いただけ。

いつのまにか朔太郎が死んだ年になってしまった。まだ私は「虚無よ!雲よ!人生よ。」と言えない。

https://www.setabun.or.jp/exhibition/20221001_sakutarohagiwara.html

 

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都市騒乱を語る言葉:映画『暴力をめぐる対話』を見る

http://bouryoku-taiwa2022.com/

まず邦題がおかしい。原題のフランス語は「お行儀のよい国家」であり(たぶん警察官が逮捕した市民に吐いた暴言が元ネタ)、英題は端的に「暴力の独占」である。映画の中身に対話はない。一方的な主張の応酬はあっても。

ちゃんと計ったわけではないがたぶん学者先生の発言が半分以上で、社会学者や歴史学者だから言うことがひと言目で予想できてしまう。実につまらん。ウェーバー、フーコー、アレント、ブルデュー、、、そうじゃないんだけどな。でも怠惰な私はそれらカビの生えた古典に代わる言葉を見つけ出すことができなかった。

学者たちの弄する言葉(使われた古典のそれも含めて)は、国家とか市民とか事実に肉薄するにはあまりに大ざっぱすぎ、事実より前に事実と無関係な規範(~すべきだ論)があり、それゆえ事実に直面している誰の立場にも立たない。逆に言えば、事実に密接する言葉を探し、外から規範を持ち込まず、事実を生きている彼女ら彼らに、彼女ら彼らを抑圧する意味に代わる新たな意味を与える言葉が必要なのだ。

映画のテーマであるフランスのジレジョーヌ(黄色いベスト)運動については、当時まじめにF2(フランスのNHK)のニュースを追いかけていた。美しい国の国営放送に比べるとマシな方だと思っていたが(たとえば大統領の演説を2分でカットしてうんざり顔のキャスターに切り替えるとか)、この映画を見ると、マスメディアはやはりある種の神話作用(大革命の伝統に連なる美しい街頭運動の物語)に加担していたことが分かる。いや大革命も血だらけでしたよね。警察に潰された目は27個だそうである。

映画の中でやはりルソーが肯定的に語られたが、このルソーこそ問題の根源だと思う。ルソーは『人間不平等起源論』で、出題された批判の対象であるホッブズを野蛮なイギリスに限られた理論と切って捨てたが、むしろルソーこそ野蛮なフランスに限られた理論ではないか。だからホッブズの国から見れば「暴力の独占」なのである。

まだまだ言いたいことは色々あるけれども、結局私はこうした研究を納得いくまで極めることができなかった。何としても20代で、死んだ気になってフランスに留学しておくべきだったと悔やまれる。

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謎のアーティスト:河原温を見に表参道に行く

昭和が終わった時、竹橋の近代美術館で昭和の美術の回顧展があった。当時美術に興味は無かったが、戦争画が出るというので見に行った。戦争画だけでなく教科書で見るような絵や彫刻がたくさん出ていて、いちいち感心して見て回ったのだが、今思い出すのはただ2点(組)だけである。なぜだろう。

1点(組)目は加山又造の『雪、月、花』。たしか会場中央の吹き抜け(今はない)の壁に3枚揃えて展示してあった。その巨大さと緻密さと人工性。東山魁夷でも平山郁夫でもない、よくも悪くも戦後の日本画の到達点だった。一度見れば十分、忘れようもない。

いま1点(組)は小さな絵だったが、灰色のトーンのタイル貼りの浴室に、今でいうならヨシタケシンスケの描くような小太りの肉体が切断されて大量に転がっている。美術館に飾ってはいけないような絵。今はけっこうあるけれど当時の展示の中ではそれだけだったように覚えている。河原温。こちらはもう一度見たいと思っているが、たぶん二度と見ることはないのではないか。

表参道のギャラリーに河原温が出ているというので、そのために(普通は一緒に出ていた赤瀬川原平を見るべきなのだろうが)出かけていった。たった2点、それも浴室の切断屍体ではなかったが、異様さは同じだった。愛知県刈谷の出身で、もう死んでしまったようだ。いったい何者だったのか。謎のままである。

原宿表参道など滅多に来ない。ふと見ると蓮見音彦先生がお好みだった南国酒家も似田貝香門先生がお好みだった(そこで破門を解いてもらった)ペルティエもない。もともととっかかりの少ない町がますます遠くなった。

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無功徳:『臨済録』のお気に入り

一遍や日蓮、最澄や空海と自分の家の宗門でないことばかり書いている。うちは父方が曹洞宗、母方が臨済宗妙心寺派である。禅、うーんあんまり興味ないな。

先日学生時代以来37年ぶりに鎌倉円覚寺を訪れたら(主たる目的地ではなかったのでこれもやる気なし)、有名な(でも見られない)国宝舎利殿の門に写真のような看板が掲げてあった。建長寺にも同じ看板が。36年前には気づきもしなかった。

『臨済録提唱』思わず笑ってしまった。笑っちゃいけません。でも『臨済録』って先生も生徒も互いに棒で殴り合ったり大声で怒鳴り合ったり、もうドリフか敏江玲児かって世界だから。今はそんなことないんだろうな。でもそれじゃ提唱じゃないんじゃない。あいかわらず禅をナメている私である。

『臨済録』、全篇殺伐としたオトコの世界だが、一篇だけ実にロマンチックな話がある。臨済の合わせ鏡のような風来坊の普化が、ある時皆に僧衣をねだる。臨済が棺桶を作ってやると、これを着てこれから死ぬという。皆が見に集まったが死なず、忘れてしまった頃に棺桶に入って行きずりの人に釘を打たせた。臨済が見に行くと棺桶の中はもぬけのカラ。「祇聞空中鈴響、隠隠而去」遠ざかっていく鈴の音が高らかに(※)空に響き渡るばかりだった、とさ。

※隠隠は文庫の注だと「かすかに」ではなく「見えないがはっきりと」の意味とのこと。

 

 

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我が爲に佛を作る勿れ:最澄『顕戒論』に沈潜する

珍しく飽きが遅くて(秋は早いのに)、あいかわらず最澄と空海を読んでいる。今日は最澄の『顕戒論』、これがむやみに面白くて授業に行くのを忘れるほど。南都諸宗からの論難への反駁書で、博覧強記はもちろん論理の明快さは現代の分析哲学書と言っても通じるのではないかと思われるほどだ。

その中ではないのだが、印象深い一句に出合った。「爲我勿作佛(我が爲に佛を作る勿れ)」、伝えられる最澄の遺言の1つ『傳述一心戒文』にある。天台宗の主要なページにも引かれているので、『山家学生式』の「照于一隅」(一隅を照らす、ただし実物の于の書体はどうみても千なので、後代の誤解)と同様、宗門ではよく知られた言葉なのだろう。

最初見た時、私は「お前たちは自分の中に仏をデッチ上げてはいけない」という意味だと思った。なぜなら空海の仏教はまさに「自分の中に仏を見出す」方法だから、それへの強烈な対抗意識だと思ったのである。事実最澄は、教えを請うた年下の空海から直接手紙で「仏に会いたければ自分を掘り下げろ」と痛罵されたのだった。しかしこれは素人の誤解で、正しくは「死んだ私の供養のために仏を作ったりするな」と素直に読むべきなのだそうだ。

しかし『顕戒論』を読み進めるにつれ、私の誤解もそれなりに当たっているような気がしてきた。最澄は、仏教経典を「公」の(公共的な)言説にしたい、「私」の(秘密の)言説にならないようにしたいのだ。経典が正しく世界に流布されればそこはそのまま常寂光土となるはずだからだ。時代ゆえに世界は当時の国家に限定されているが、理論的には国家だろうが何だろうが、経典が正しく流布されていればそれでOKなのである。そんな最澄にとっては、その場限りの利己的な加持祈祷なんてアホかいな、なはずだし、もういない自分を慕って仏像を作ったりするのは「私」の最たるもので、ナンセンスの極みなのだ。

最澄の本来の問いは、現行の小乗(「私」)を越えていく未来の大乗(「公」)とは何か、にあったと思う。その意味で、社会学者である私が『顕戒論』に沈潜しても悪くないのではないか。

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ネットメディアに出ました:33年前の卒論の結論を繰り返す

https://www.youtube.com/watch?v=cLCAGu0gB6s

はじめてネットメディアなるものに出演した。夏休み中に突然依頼され、1週間くらいで撮影隊が来た。そう撮影隊が来たのである!依頼された時は手持ちビデオくらいだと思っていたら、ワゴン車で大人数やってきて、外国人の監督さんに演技までつけられた。高級スニーカーのブランドイメージを作る動画らしいが、すみません、履いたことありません。とにかくいい経験でした。

設営撤収も含めて2時間くらいだったが、できた映像は2分に満たない。でも上手に編集してくれて、動画全体から浮きすぎず沈みすぎず、そのうえ話の要点をちゃんと残してくれていてありがたかった。

言っていることは33年前の卒論の結論なのである。準備したのは別の話題だったが、聞き手に合わせていくうちに自然とこんな話になった。「多様性の深化(する場としての都市)」、都市社会学者としての私の主張はこれ以上でもこれ以下でもない。

聞き手の方は、私が若い頃に書いた「東京論の断層」という論文に興味を覚えて声を掛けてくださったようだ。まだバブルの余韻が残っていた1998年当時、INAXが出していた『10+1』(テンプラスワン)という雑誌の「東京新論」という特集に書かせてもらったものだ。そのとき編集者の方に、『TOKYO STYLE』(1993,ちくま文庫版あり)という写真集を知っていますかと聞かれて知らないと答えると、ぜひ読んでから書いてくださいと言われた。伝説的な編集者で写真家でもある都築響一を知らなかったのは、私が全く大学の中だけに住む人間だったからだが、それが今回の仕事につながっているわけである。だから映像ではカットされているが話題にしているのは『TOKYO STYLE』のその後なのである。

愛知県豊橋市に移住した1998年から30年、ずっと東京に住んでいない、ずっと東京を遊んでいない私が東京を語るのはムチャな話だ。でも今も私は東京にいる間は「多様性の深化」を求めて漂泊しているである。

https://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/515/

 

 

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停滞日:ワーグナー『パルシファル』を聴きながら

 

せっかくの連休だったが台風接近で新幹線が止まる前に上京して、今日は停滞日。午前中買いものでずぶ濡れになったが、午後は晴れ上がって風も適度にあり、だいたい乾いた。ありがたい。

仕事をしながらワーグナーの歌劇(正確には舞台神聖祝典劇、ハハハ笑っちゃう)『パルシファル』のCDを聴いていた。魔法使いに堕落させられた聖杯城を汚れなき無知の若者パルシファルが救い、新たな聖杯城主となる、という物語。ワーグナーが子孫繁栄のために自分の劇場の門外不出にした遺作である。第2幕の魔法使いの幻の快楽の城ってアンタの音楽やろ、語るにオチてるわ、と思いつつ、まあ4枚目の最後まで聴いてしまうのである。全体を通していわゆる「ドレスデン・アーメン」(ドードレミファソソー)が連発されるのも、望郷の念というにはやや安っぽい。

聴きながらぼんやり考えたのは、純潔、堕落、贖罪、救済といった物語の素材が、世俗化されているとはいえキリスト教の基本要素で、それはある種の感動というかカタルシスというか、気持ちの良さを引き出すけれども、結局は幻の快楽なのではないか、私はパルシファルと同じくその城には入りたくない、ということである。

なぜか。理由は世界を双分(二分)する思考の型にある。世界を双分する思考は人類のどの文化にも宗教にもあるから、それ自体を否定することはできない。問題はそこに絶対的な(たとえば嘘っぱちな性的純潔)優劣をつけて、かつ劣から優に至る道の途中に、自助努力に加えての神の奇蹟という偏狭な関門を設ける型の特殊性である。その結果はどうか。カトリック教会はかつては非西欧世界へ侵略の罪悪、今は司祭たちの性的暴行の恥辱にまみれているのである。

最近素人仏教にハマっているのも、この快楽の城から離脱する方法を見出したいからなのかもしれない。私たち学者世界も世俗化されたキリスト教のようなものなので、そうした双分思考をそのまま受け継いでいる。近頃学問に優劣をつける「ためにする」言葉を多く見聞きするので、とりわけそう思う。テキストそのものを読め、なんて殊更に言うことか?読んだ俺が優、読まないお前が劣って言ってるだけだろ。

もちろん素人仏教もそっちはそっちで「近代の超克」みたいな落とし穴もあるので気をつけなければいけない。親鸞聖人のいわゆる悪人正機説なども、我は悪人という先験的な設定自体がもう快楽の城の入口だと思う。キンキラキンの御堂の縁側にも座らせてもらえない門徒たちがなぜよろこんで貧しいまま死んでいくのか。私は嫌である。

社会学は具体的な事実からはじめなければ話にならないので(そこが魅力)、近代化途上の都市における群衆騒乱の研究からはじめたけれども、どうやら私のささやかな思考の終着点はそのへんにありそうな気がしてきた。そのことに確信が持てれば、ワーグナーとはちがう、晴れ晴れとした終焉を迎えることができるように思う。

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日本のヴァルトブルク城:鎌倉の切り通しを抜けて

「皆様~、左に見えますのは日本のヴァルトブルク城、鎌倉安国論寺御法窟でございます。彼のマルチンルターが城に籠もって聖書をドイツ語に訳しましたように、日蓮聖人はここに籠もって『立正安国論』を書かれたのでございます。」「右に見えますのは、その後念仏衆に襲われた聖人がお隠れになった、お猿畠の洞窟でございます。世に言う『松葉ヶ谷の法難』でございます。しかし、さすが叡山で修行された聖人様、近所の猿どもが山王権現の意を体して守ったそうでございます。」

というわけで、ちょっとヒネった鎌倉ウォーク。逗子駅から名越切通しを越えて鎌倉市内、さらに巨福呂坂切通しを越えて北鎌倉駅まで。後半は言うまでもなく建長、浄智、東慶、円覚と禅一色だが、前半が法華と念仏の対決の場だったことは知らずに来た。来てみれば材木座から小町大町の道は中世の市場そのものである。南端には浄土宗の関東総本山があり、道を挟んで時宗と日蓮宗の寺が向かい合っている場所もある。北端の夷堂橋の両側は日蓮宗の大寺が押さえている。日蓮宗の方はこの道のそこここで生き生きと辻説法する壮年の聖人を想像するのだそうだ。さもありなん。

もっとも信仰のない私から見ると、猿に守ってもらわなくても六浦まで出られれば、故郷の安房は船で一渡りである。そのつもりでの逃避行だったのではないか。鎌倉から見れば隅に追い詰められたように見えるが、逗子から入るとそうは見えない。絶体絶命の神話を作ったのは、聖人のようにポジティブに生きられなかった弟子たちだろう。

ちなみに『立正安国論』執筆の場所は他にも2ヶ所ある。そこは行かなかったので何とも言えないが(そもそも素人には何とも言えない)、安国論寺のいいところは、境内の細い山道を上ったところから富士山が美しく見えることだ。聖人は毎朝霊峰に向かって法華経を読誦されたとのことである。これこそ、さもありなん。

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最澄と空海:囲碁ならどっち

与太話に過ぎないが、最澄と空海、囲碁ならどっちが強いだろう。といっても私は囲碁はほとんど分からない。

なぜそんなことを言うかというと、平安京を碁盤に見立てれば、北辺の神護寺と南辺の東寺に加え(ここまで空海生前)、東辺の醍醐寺、西辺の仁和寺を押さえた真言宗と、滋賀院、三千院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂と東北隅の叡山の麓ばかり布石している(どれも最澄死後)天台宗では、ずいぶんちがうなと思ったのである。詳しい方に聞いてみたい。

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予告「池田環境社会学の生起する場」:池田寛二先生に思い出をうかがう

この夏一番(唯一?)の仕事が終わった。同僚の池田寛二先生(環境社会学)が来春定年退職される。これまでの学恩に感謝する意味で、先生の若い頃のお話をうかがって研究ノートとしてまとめることにした。2時間×2回の聞き取りが無事終わったのである。これから年末にかけて文章にまとめるつもりだが、こちらが用意していた整理の枠組みが的外れであることが分かって、そこから考え直さなければならないのがうれしい悩みである。

池田先生は私より少し後に本学部にスカウトされ、学部では講義やゼミの他に社会調査実習、大学院では社会人大学院生や留学生の研究指導に長年活躍されてきた。学会でのご活躍は言うまでもない。その池田先生が都立大学大学院ご出身であることは知っていたが、私は故河村望ゼミ出身だと思い込んでいた。ある時うかがうと「ちがいますよ。修士は故大塩俊介先生、博士は故古屋野正伍先生です」とおっしゃる。さらに学部は横浜市大で故越智昇先生から社会学の手ほどきを受けられたとおっしゃる。こんなユニークな徒弟時代を過ごされた社会学者は他にいないのではないか。そこで当時の思い出をうかがうことにしたのである。

池田先生より14年少の私は越智先生や古屋野先生はごあいさつした程度だし、大塩俊介先生はお目にかかったこともない。だから事実として新鮮だったが、それ以上に私が育ってきた世界とのちがいが興味深かった。池田先生と私の共通の言語で言うなら、池田先生の世界は講組構造(上下関係が弱い)、私の方は同族構造(上下関係が強い)。明らかに彼の方が近代的で民主的である。

ものすごく興味深いが、池田先生も聞かれたことがないエピソードを1つ。古屋野正伍先生は旧制六高(岡山)で同じ岡山出身の福武直と同級だったが(ただし小学校訓導の息子の福武に対し、古屋野は倉敷市長の息子)、大学は東京帝大経済学部商学科に進んだ。その頃の経済学部商学科はまさに河合(栄治郎)事件の火中である。たぶん隅谷三喜男と同級。あの混乱の中で古屋野先生が何を学ばれたか、想像する他はないけれども、実に興味深い。

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