先便で書いたように、私のなかには社会運動や運動する人に惹かれる磁石のようなものがある。昔学生大会の議長をやっていて、銀杏並木を通りかかった高校の同級生から、「そういうところ、お前のダメなところだな」と言われて30年、まだダメなままでである。
といっても運動しているわけでも、支援しているわけでもない。ただ頭と心が惹かれているだけだ。その方がいっそうダメなところかもしれない。
名古屋一社の民設民営の資料館「ピースあいち」の、民間戦災者補償運動の中心だった故杉山千佐子さんを偲ぶ「名古屋空襲と戦傷者たち」展を見に行った。私が杉山さんの運動を知ったのは、ひとえに朝日新聞の名古屋支局で、戦争史の調査報道記事を次々と挙げてきた伊藤智章記者のおかげである。この展覧会も伊藤記者の案内記事で知った。
小さな2つの展示室に簡潔にまとめられた展示は、分かりやすい。前半は数次にわたる名古屋空襲の特徴と、杉山さんがそこでどのように被災したかがまとめられている。米軍の政治的・軍事的都合によって炸裂弾中心の爆撃となった結果、杉山さんは防空壕で押しつぶされ、顔を傷つけられたのだ。後半は杉山さんの補償運動がまとめられていたが、そちらは展示量の限界でごく簡単なものだった。詳しくは伊藤記者の連載記事、「救われず71年」(2017年1月、朝日新聞)で補足するとして、しかし最後に展示された杉山さん自筆の手紙が鬼気迫るものだった。運動を続けるために高齢者施設に入りたくない、と訴える手紙は、世界と戦い続ける気迫に満ちていた。
資料館を後にして思った。『風立ちぬ』なんて映画は、だからでたらめで、ちゃんちゃらおかしいのだ。