私と(の)地域社会学:「ポスト『国土』の地域社会学」をめざして

3月頃刊行される『社会学評論』に載る書評の初校を読み直して、そこに書いた「私と(の)地域社会学」という話題に思いをめぐらせた。今は完全に幽霊地域社会学者なのだが(書評では「欠け落ち」という歴史用語で表現してみた)、10年くらい前までは色々と学会で活動していた。なぜ「欠け落ち」たのか。色々原因はあるのだが、一番大きな原因は、自分のやりたい地域社会学が学会の大勢と著しくズレてしまったことだ。独立独歩でやればいいし、事実そうして成果を挙げている先輩もいるのだが、何だか意欲が減衰して、今日に至っている。

話は変わるが、日本の社会学と柳田国男の関係はというと、有賀喜左衛門、鈴木栄太郎、喜多野清一と、まさに正嫡といってもいいものだった。ところが、おそらく福武直の英「断」によって、系譜は途切れてしまった。だいぶたって、それとは無関係に見田宗介先生が、柳田とくに『明治大正史世相篇』を取り上げ、さらにその影響を受けつつ優れた研究が2つ現れた。佐藤健二先生の『読書空間の近代』(1987)と内田隆三先生の『社会記・序』(1989)である。

佐藤先生の研究は、その後も含め、読むたびに「敵わないなあ」という感を強くするのだが、内田先生の研究は、最初に読んだとき「こういう風にやってみたい」という思いを強く持った。当時まだ先生の事例研究は、都市犯罪を論じた「都市のトポロジー・序説」(『思想』だったかな?)くらいしか読んでいなかったので、この先どんな研究をされるのだろう、とわくわくした。『国土論』(2002)が刊行されたとき、「やはりこうきたか」と感動するとともに、先生の大枠を細かく検証し、批判していくのが私の仕事だと思った。ちょうど岩手と熊本の村に通い始め、そのことをつねに頭に置いて聞き取りや資料収集を行った。

しかし、ちょっと前に『「美しい国」の構造分析』というウェブ連載に少しだけ書いただけで、『国土論』事例篇を書き上げることは、まだ私にはできていない。一方の内田先生も、野球の研究や推理小説の研究など、面白いのだろうが、私の関心外の研究ばかりされて退官された。そもそも内田先生とは2度くらいしかお話ししたことがないのである。

でも、もしもう一度地域社会学をやるとしたら、やはり『国土論』の枠組みで、かつ「ポスト『国土』の地域社会学」をやってみたい。それなら師匠の指示した復興コミュニティ論から「欠け落ち」た今の私にでも(災害復興の問題も含めて)挑戦できそうな気がするのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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