釈然としない話をグジグジ考える:ゼルキン親子の和解とは?

朝日新聞7日朝刊に、音楽担当の吉田純子編集委員がP.ゼルキンの追悼文を寄せている。そのなかに「91年、死の床にあった父の指が、ゴルドベルク変奏曲を弾いているとわかった、と後に回想している。バッハの懐で、父と息子の言葉なき和解が果たされた瞬間だった。」とある。マッタク、エエ話ヤナァ、涙デルワ、と、そこにひっかかって、ずっとグジグジ考えている。

和解というなら、You tube にモーツァルトの二重協奏曲を二人で弾く動画もあるくらいだから、普通の意味では和解していたのではないか。それより深い意味での和解ならば、上記のような「エエ話」レベルで可能なのだろうか。逆にその程度のささいな不和だったのだろうか。

そもそも父ルドルフが死の床でゴルドベルクを弾いていた、というのがにわかに信じ難い。ベートーベンの32番ソナタなら分かるけど、と思ってググってみたら、父ルドルフはデビューコンサートのアンコールでゴルドベルクを全曲(つまり1時間近く)弾いてしまったという武勇伝の持ち主なのだそうだ。だとすると、死の床のルドルフは、息子の得意とする曲を弾いてみせたのではなくて、あくまで自己中心的に、若くて無限の未来に開かれていたたナチス以前のドイツ時代の夢に浸っていただけなのではないか。逆に息子ピーターは、偉大とされてきた父のそうした卑小な面に何か納得できて、自分の心の中で「和解」したのではないか。

一方、息子ピーターにとってゴルドベルクは愛すべき曲だったのだろうか。父の秘蔵曲であり、またレコードマーケット上のライバル、あのG.グールドの愛奏曲でもあるゴルドベルク、それを弾くのは、つねに苦しいチャレンジではなかったか。ちなみに、私のレコード芸術の師匠である叔父は、私のグールドの新しい方のゴルドベルクを見て、「そんなん聴いてないで、これ聴き」と、G.レオンハルトのレコードをくれた。全く正しい教育である。

あまり追悼では触れられないが、ピーターのお母さんはブッシュ・カルテットのアドルフ・ブッシュの娘で、父ルドルフはブッシュの伴奏者としてデビューし(1938年録音のブラームスのピアノ五重奏曲のレコードあり)、ユダヤ人であるルドルフを守るために、フルトヴェングラーの慰留を振り切って一家でアメリカに亡命したはずである。そこで生まれたのがピーター。そして父ルドルフは、反ナチの象徴としてアメリカの、レコードマーケットの巨匠となったのだ。

私事にわたるが、死の1週間前、自らの喜寿の祝いに一族を集めた亡父は、私の子どもの頃の好物である「糖醋鯉魚」(コイの丸揚げ甘酢あんかけ)をあつらえて、自分は食べられないのに、私を満面の笑顔で迎えてくれた。しかし、私はそんなことをしてほしくはなかった。ひと言「お前の人生は私には分からない」と言ってくれるだけでよかったのだ。

私は宗教を持つものではないが、生をダラダラ引き延ばす和解より、新しいエルサレムか、でなければ永遠の無こそが望ましい。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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