僕はそうしたくないんです:立岩真也『病者障害者の戦後』を読んでいる

「読む(んだ)」ではなくて「読んでいる」。大学院時代から先輩の立岩真也さんの文章は苦手で、読む集中力が続かない。だからちょっと読んでちょっと休み。連れ合いは「そんなことないよ」と言うのだが。

先日内田隆三先生の『国土論』の話を書いたが、大学院時代に将来こういう研究をしたいと願った方向のもう1つの理想型が、少し前に刊行された立岩さんの『病者障害者の戦後』(2018,青土社)である。病者障害者の世界をかたちづくった言説をていねいに集め、再構成、再解読している。M.フーコーの影響を受けざるを得なかった私たちの世代の、フーコー「論」ではないやり方としては、福祉というフーコーにより近い領域という意味でも、『国土論』に劣らず重要な仕事だと思う。

まあ、有能な後輩から「中筋さん、フーコー分かっていないでしょう」と批判された身としては、偉そうなことは言えませんが。

ふと、私の師匠と中野卓の話をしたことを思い出す。一緒に分担執筆した思い出を聞いた私に、「怖い先輩でね」とニヤニヤされた。立岩さんは怖いひとではまったくないが、もし一緒に仕事をするなら中野以上に怖い先輩ということになるにちがいない。というのは、立岩さんの方法には中野卓の「生活史」と通じる、独立不羈の風があるからだ。

これも大学院時代、ヴィム=ヴェンダースの『東京画』の話を立岩さんとしていたとき、私が「つまらないし、(厚田雄春を泣かせる)ひどい映画だ」と腐したら、「そうかなあ」と立岩さんは不同意。その時は映画の好みが違うだけだと思ったが、きっと「そうかなあ」が立岩さんの方法で、「ひどい」と断じる私の方が立岩さんのいう「たいしたことない理論枠組」で世界を切り捨てているだけなのかもしれない。

でもでも、立岩さんが書くことと考えること(『不如意の身体』など)を分けて書かれるようには、私はできない。たいしたことない理論かもしれないが、パッと考えたことを考えたときに書くしかできないのです。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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