2つの修正主義その6:専門バカが戦車(タンク)でやってくる

【専門バカ注意】もう暴走気味。

田辺が勤めていたのは蒙古善隣協会の運営する蒙彊学院。今西、梅棹の西北研究所は大東亜省直轄で東京の民族研究所の弟分。そちらの所長は高田保馬。京大ヤバいね(笑)。

むしろ今気になるのは、蒙ではなくて(新)疆の方。中国のウイグル弾圧、他人ごとじゃなかったんだな。蒙はチベット「仏教」だからいいとして、彊はイスラム教だから研究し、統制するといった感じになっただろう。大川周明的な?

ただ(西)蔵までは入らなかったんだな。大谷光瑞探検隊(龍谷ミュージアム)どまりか。ソ連国境ではないが大英帝国との国境。帝国vs帝国、まさにR.キプリングのいう「グレートゲーム」。もっとも戦後には梅棹の弟分の中井佐助(『秘境ブータン』)と川喜田二郎(『鳥葬の国』)が探検に。やっぱ京大ヤバいよ。

学生時代住んでいた東大駒場寮。建物が4棟あって、一番北の明寮は半分の大きさ。大東亜からの留学生専用だったという話。蒙彊学院も実態は日本語学校だったんだろう。
ああ、SGUとか、アホな政策のお先棒担いだ私が言うことじゃないな。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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