後生畏るべし:頭に残る母校の教育

話題の書『みんなのわがまま入門』の著者富永京子先生のツィートに「みんなの残余としての私」とあって、私の学問の核心を突いていたので思わず「後生畏るべし」とリツィートした。

「後生畏るべし」、この『論語』の一句がすらすら出てくるのは、母校灘高の卒業式に当たって、当時の校長勝山正躬先生から贈られた色紙に書かれた言葉だったからだ。いつからいつまでやっていたか知らないが、勝山先生は灘中1年の道徳の時間に新入生全員に下村湖人の『論語物語』を読ませ、卒業式では卒業生全員に直筆の論語の色紙を贈っていた。

この句の続きは、「焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十、五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦畏るるに足らざるのみ」。若い奴はどんどん成長する。中年になっても「あの人はスゴい」と言われないような手合いの話など聞くに値しない。『論語物語』では、世に容れられぬ孔子が今にも泣き出さんばかりの苦渋の表情で弟子たちに語るという筋になっていた。

前にも書いたが、教養なきガリ勉進学校の悪名高かった(今は、そのことを悪く言う人はいないようだが)灘中高で、五段(私の頃はまだ四段)の教師が教える柔道と京大国文科出の校長が教える論語が必修だったということはあまり語られない。その結果聖人君子を量産してきたとは言えないけれど、ある種のエリート意識の「サーキットブレーカー」にはなっていたのではないだろうか。

『論語』つながりで昔話を1つ。亡父の書架に穂積重遠『新訳論語』(1947)があって、不思議に思って聞いてみたら、子どもの頃何かの機会に読んで感動して本屋に注文したら絶版で、思いあまって出版社に手紙を書いたら、それが穂積の遺族に回されて、子どもなのに殊勝な心がけだということで穂積の遺品のなかから贈られたのだという。聞いた当時は穂積がどんな人か知らなかったので「へえ」で終わったが、今思い出すと「そりゃスゴい」である。だって穂積の論語は、たぶん祖父渋澤榮一、あるいは父穂積陳重仕込みだろうから。しかし神戸の地震の後の整理で捨ててしまったらしい。残していれば家宝だったのにな。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の心情と論理 パーマリンク

後生畏るべし:頭に残る母校の教育 への2件のフィードバック

  1. 松尾 のコメント:

    中高時代の同級生の松尾です。昨年はどうもありがとうございました。本日は久しぶりにこのブログを拝見いたしました。
    勝山校長の授業のテキストだった下村湖人の『論語物語』の現物はいまだに持っています(今、手元にそれを置きながらこれを書いています)。
    ただ、「卒業式では卒業生全員に直筆の論語の色紙を贈っていた」というのは、少なくとも我々の学年に関しては事実ではなかったと思いますが(私の記憶違いでなければ)。貴兄は生徒会長であったし、卒業式で答辞を読んだので、特別に校長が色紙を贈ったのではないでしょうか(私はあの校長の書いた色紙など別に欲しいとも思いませんでしたが)。
    それから、同窓会員名簿を見る限り、あの柔道四段だか五段だかの先生はもう亡くなられたようですね。卒業後の年月の長さを感じます。

    • 中筋 直哉 のコメント:

      コメントありがとう。色紙のことは、私の思い込みかもしれません。

      柔道、私は内股や絞め技(!)の実験台にされることが多く、けっこうつらかった。Mのケが芽生えなくてよかったです(笑)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください