仁義なき戦い 日社編:後日譚

先便の似田貝北川抗争の話、1つウソを書いた。縁切りを命じられた後、北川先生には職場の宴会で1回あったきりと書いているが、そうではない。もう1回会ったような会っていないようなできごとがあった。

山梨大学の私の前任者の塩入力先生が亡くなられて、「偲ぶ会」のセッティングを似田貝先生に命じられた。塩入先生は元々は東大の院生で最初にパーソンズに取り組まれたそうだが、後輩の富永健一先生にお株を奪われ、その後は軍事社会学を標榜したものの研究はほとんど残されなかった。ただ実験講座で比較的豊富だった校費を惜しげもなく本の購入に費やされた。だから研究室には全く手つかずの本が大量に残されていて、私は狂喜して次々と自宅に持ち帰ってむさぼり読み、通勤用のサムソナイトのアタッシュケースが壊れてしまうくらいだった。

さて似田貝先生は「情に溺れて北川さんを呼ぶなよ」とクギを刺された。もちろんそんなことするわけがありません。しかし私は不安になり会場の入口で見張っていた。次々と名誉教授の先生方が到着される。山梨大は昔は東大への出世ルートだったので偉い先生が多かった。その応対にかまけていると、さっと脇の下をすり抜ける影がある。あっと思ったら、もう会場に下る階段を北川先生が駆け下りていった。私は真っ青になって似田貝先生に注進した。私が呼んだんじゃありません。似田貝先生は冷たい表情で「もう仕方がないから、放っておきなさい」と言われ、何ごともなかったかのように会は始まった。もちろん私はひと言も北川先生とは口をきかなかった。なんで私のことを思いやってくれないんだ。私の頭に北川先生の言葉が甦った。「もう君だけの問題じゃない」。

ついでにもう1つ凍り付いた思い出を。蓮見・似田貝グループの総括本『現代都市と地域形成』(1997,東大出版会)の出版と蓮見先生の東京学芸大学長ご勇退のお祝いをするというので、似田貝先生から号令がかかった。しかしもう出版からもご勇退からもずいぶん時間が経っている。会場に出向いてみると主賓の蓮見先生がいらしていない。私の頭に北川先生の声が響いた。「俺を大事にしろって言ってんじゃない。蓮見君を大事にしろって言ってんだ。蓮見君は怒ってる」。似田貝先生は平然と「どうしたんだろう。体調でも崩されたのかな」。私はただ薄ら笑いを浮かべるだけだった。結局蓮見先生はいらっしゃらなかった。

さらにもう1つ、2005年に似田貝先生が東大を退官された時のパーティ、私にも一応案内があったので出向いた。会場につくと片桐新自先生が目を丸くされ、「よく来たねえ」と呆れたように言われた。「やはり来てはいけない人間だったのか」と私は悲しくなった。それ以上に悲しかったのは、似田貝先生を囲む中心の輪に蓮見先生がいらっしゃったことだ。私はほんとうに独りぼっちになったような気がして、会場から遁走した。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 墓場まで持っていかない話, 尊敬する先輩たち, 私の心情と論理 パーマリンク

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