断腸亭日乗を思い出す

世情不安定のなか、SNSに何か書き込みたい気持ちがずっとある。何だろう、この気持ち。価値ある情報や意義ある意見があるわけでない。でも何か書いておきたい。なぜ。

ああ、そうだ。永井荷風の『断腸亭日乗』だ。とくに戦争中の。あの感じが自分の中に生じているのだ。

https://www.iwanami.co.jp/book/b249152.html

修士課程に進学できたものの、都市社会学で優秀な先輩たちから差異化できるとはとても思えなくて行き詰まっていたとき、東京を彷徨い、荷風文学に逃避していた。駒場の山本泰ゼミで修論構想を発表しなければならず、苦し紛れにデッチ上げたのが「荷風の東京、犀星の東京」というエッセイまがいの文章。先輩たち(佐藤俊樹さんとか若林幹夫さんとか)の苦笑しかもらえなかった。でも、たぶんその時から根っこはあまり変わっていない。大都市の片隅で個=孤として生き続けるか友愛と家族を創造していくか、という問い。

でも、その時は気づかなかった。動揺する社会のなかで個=孤としてできることとは何か。「花火」以来の荷風の筆はずっとそれを信条としていたことに。

岩波文庫の摘録しか持っていないが、もう一度書架から取り出してみたい。次に出校したときに研究室の一番高い、奥の棚から。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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