都市への挑戦:今考えたいが、まだ考えられないこと

先日職場の同僚たちのメーリングリストを退会した。最近のコミュニケーションの流れが意に沿わず、2度ほど逆らってみたが組織文化の強さの前に諦めてしまった。まことに大人気ない次第である。私としては業務上あれをやらなきゃあ、これをやらなきゃあと煽るより、学問上これは言ってはダメだよね。このことは心に留めておきたいよね、みたいな話がしたかった。

では、お前は何もやらなくていいと思っているのか。いや、社会学者として今一番やらなければならないのは、電子会議システムに慣れることでも下劣な政府広報に呆れることでもなくて、今の社会がどのような状況になっているか、考えることだとは思っている。しかし日々の暮らしに振り回されて、考えたいが考えられない。

お手本にしたいと思っているのは、連れ合いの師匠の宗教学者、島薗進先生のツィッターである。いつもながら闘争心あふれる先生のツィートは、しかし闘争の快楽のためではなく、宗教学者として、デュルケムの言う通り、現代社会の宗教であるところの「科学」は今どうなっているのかを、言葉の闘争を通して探究されているのだ。意気地なしの私は島薗先生のようにはできないが、自分のやり方で社会の今を考えていきたい。

もう1つお手本にしたいと思っているのは鷲田清一氏である。朝日新聞朝刊の「折々のことば」はスカ!と思うときも少なくないが、重要なときにいつも意味深長な言葉を選んでくる。10日はC.レヴィ=ストロースの『神話と意味』だった。「人間のもつ多様な知的能力(中略)、どの部分を用いるかは文化によって異なります」。私も貧しい語彙から今の社会を捉える言葉を探し出したい。

現時点で私の手元にある言葉は「都市への挑戦」である。コルビュジエもどきのパッとしない言葉ではあるが、今私たちの社会は(この国だけでなく世界的に)、巷間で言われるようにグローバリゼーションを問い直されているのではなくて、産業化以降の都市的生活様式を問い直されているのではないか。多数の人間が身体として密集し、移動し、交流する社会、元々の私の用語では「群衆の居場所」であることの可能性を問い直されているのではないか。私は今、自分が生活上も学問上も当然の価値前提としてきた都市的生活様式が崩れ去る恐怖におびえている一方、それを否定するのではなく、生き延びさせる言葉を探している。

長い長い勉強のはじまりなのかもしれない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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