法政大学大和キャンパス?:朝日新聞「歴史のダイヤグラム」から

4月25日朝日朝刊Beの原武史「歴史のダイヤグラム」にビックリ。野上豊一郎と彌生子夫妻の写真(これ、鉄ちゃんの原さんにしてはキャプション付けてないけど特別急行の一等車内ですね)と、彼らが小田急線南林間に土地を買い、視察していたという話である。原氏は野上夫婦がそこに住むつもりだったと解釈しているが、ちがうでしょう。豊一郎が牛耳っていた法政大学予科を市ヶ谷から移転させるつもりだったんじゃないか。もしそうなっていたら法政大学大和キャンパス、あるいは陸軍ベッタリだった法政からすれば、法政大学「援」武台キャンパスとかになっていたかもしれない。ちょうど士官学校も市ヶ谷から相武台に移ったところだったしね。

こんな妄想を書くのに全く根拠がないわけではなくて、私は戦前の予科の教員だった人のお嬢さんを偶々知っているのである。その人の思い出話に、野上夫妻は大権力者で、とくに彌生子が影の女帝で、お嬢さんはお母さんと一緒に北軽の法政大学村の野上別荘まで付け届けに行ったそうである。その時の彌生子の蔑むような冷たい視線が忘れられない、と言っていた。さもありなん。

原氏のコラムは、彌生子が小田急線の乗客の会話の中国語を朝鮮語と聞き違えたという結びになっているが、これはにわかに信じ難い。彌生子の知性を見くびっている。しかし、もし原氏が正しいのならば、それはそれで植民地からの徴用者に(も)あくまで冷酷な彌生子のもう1つの顔を言い当てているのかもしれない。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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