私のおくすり手帳6:カウンセリングその後

ポンピドゥーセンターでの失敗の罪滅ぼしに、私はカウンセリングに通うことをしぶしぶ了承した。バイト医師に頼むと、とくにいいとも悪いとも言わず、下請けのカウンセリングルームの名前を指示した。私は自分で電話して、最初の予約を入れた。

カウンセリングに通い始めたものの何を話すことがあるんだろう。最初はただ病気の経過を説明するだけ。中年女性のカウンセラーは淡々と、でもよく話を聞いてくれた。汚い雑居ビルの狭い部屋、安っぽい観葉植物ととくに旨くもないお茶。最初に通った神保町(駿河台)のピッカピカの漢方精神科クリニックとは天と地ほどの差があった。

何度目かの時、私はふと死んだ父の話を始めた。話し始めると、どんどん怒りが湧いてきて、気づけば割り当てられた時間いっぱいまで(それまでは早々に切り上げていたのが)父を攻撃し続けた。父が死んだときの実家の不和は、死んだ父とは無関係である。でも不和をもたらした母や弟ではなくて、私の攻撃の矛先は父だけだった。父を知っている方は、そんなことないでしょう、いいお父さんだったでしょう、と言うにちがいない。その通りです。しかしいい人の仮面の下の幼稚なエゴイストのわがままをずっとガマンしてきたのだ。いや、幼稚なエゴイストなら私もそうだ。でも、私のそれも含めて、いい人の仮面の下のエゴイズムに怒りと絶望を感じていたのだ。

最終的には、半年にわたるこのカウンセリングが回復の第一薬だったと言えるだろう。例のバイト医者は経過観察にこだわってリフレックスを出し続けたが、いよいよ大丈夫とみると治療の終了を宣言した。最初の病因発生からちょうど2年目の春、私は「退院」した。亡父の3回忌に出るは出たが、読経が終わるとさっさと帰ってきた。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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私のおくすり手帳6:カウンセリングその後 への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    実家の方はそれでいいとして、職場のパワハラは?。直接の原因を排除することはできないし、私の方が出て行くことにも失敗した。省みれば、ソレは狂犬みたいなもので、飼い犬だと思ってエサをやった私が馬鹿だったのだ。ただより根本的な原因の方は?やや落ち着いた半年後、一緒に働いた同僚が自分たちだけの慰労会をしようと誘ってくれた。食事を始めると、なぜか店に根本的原因が入ってきて、私はてっきり同僚が手打ちを仕組んだのだと思った(K先生、邪推してごめんなさい。別の会合とかち合ったのでした)。ところが、根本的原因は会うなり「私の悪口を言っていたんでしょ」、私は憑きモノが落ちたような気がした。2年間誠実に使えたのに、それにあなたの出世を下支えしたのに、さらにもうあなたは別の世界の人になったのに、悪口なんて言うわけないでしょう。あちらが狂犬ならこちらは野良犬だった。連れ合いは一度ガツンと言ってやったらいいのに、あなた得意の「この安モンが!」って、と言うが、もうそんな必要はない。

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