てっちゃん挽歌:テキトー社会調査法番外編

たくさんのお弟子さんたちには申し訳ないが、前便を書きながら急に「てっちゃん」のことを思い出してしまったので、少し書いておきたい。

社会学研究室の助手(東大最後の2番手助手)になって、ある日事務嘱託の方が、書架に展示された洋雑誌の表紙(論文題目一覧)ばかりを一所懸命にコピーしているのを見かけた。「どうしたんですか。どの先生の依頼ですか」「いえ、名誉教授の先生からの依頼で」「ええっ(自分でやれよ)」

てっちゃんである。私はさっそく「嘱託は研究室の諸業務で忙しいから、研究上の手伝いは助手の私に依頼してください」と手紙を書いた。すると依頼は止んだ。ちょっとして研究室主任の庄司興吉先生に呼び出された。庄司先生は苦笑いしながら「君の気持ちも分かるが、まあここは1つ詫びを入れておいで」「はあ」

私はてっちゃんの入院先の東大病院に詫びを入れに行った。私は芝居がかったところがあるので、部屋に入ってすぐ頭を下げた。「出過ぎたことをいたしました」するとてっちゃんは「そのことはもういい。ところで君は何を研究しているのかね」

私は私の関心を誤解されないように一所懸命にテーマを語った。しかし群衆「論」ではなく群集「行動」を研究したいという私のテーマは、やはり伝わらなかった。てっちゃんは「昭和10年(だったかな・・・記憶が曖昧)、ここが日本の大衆社会論の転機だと思う。そこで調べるべき学者は」ところがその先の名前が出てこない。「一方彼を批判したのが」この名前も出てこない。さすがのてっちゃんも苦笑いしながら「耄碌してしまって情けない」と言われた。しかし私は何か熱いものがこみ上げてきた。この人は根っからの先生なんだな。僕を教えようと一所懸命なんだ。だから大先生なんだ。

てっちゃんとの出合いはこれでおしまい。もう一度お会いしてゆっくりご指導いただきたかったが、その機会はなかった。

そういえば、連れ合いの指導教官の見田宗介先生は、あるとき連れ合いに「中筋君は高橋先生に見てもらうとよかったかもね」と言われたそうである。いや、私は蓮見先生に指導していただけてほんとうに幸いだった。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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