テキトー社会調査法4:福武直・松原治郎編『社会調査法』(1967,有斐閣)のキモ

1954年の『社会調査の方法』から13年、1967年の『社会調査法』には大きな変化があった。

第一は福武グループの成立である。『方法』はいわば福武の弟たちの共作だが、『調査法』ははっきりと弟子たちと指導学生たちの共作である。そのまとめ役は松原治郎(統計的調査と家族)、1984年に早世したこの方を私はまったく知らない。この本の福武グループは蓮見音彦(調査計画と農村)、倉沢進(統計的調査)、山本英治(家族)、園田恭一(統計資料へのアクセス、おおC科目)で、明善先生と古城先生は入っていない。ちなみに日本語版ウィキペディアは福武の弟子として古城先生と飯島伸子先生だけを挙げているが、間違いではないが正しくもない。

ちなみに福武グループとは松原、蓮見、園田、明善、山本がコアメンバーということははっきりしていて、倉沢先生や古城先生は少し周辺的だ。飯島先生や若林敬子先生はやや若い世代でやはり周辺的。また上世代では安田三郎、塚本哲人、綿貫譲治、北川隆吉といった方々が一緒に仕事をしているし、この本の執筆陣である副田義也先生はグループのメンバーであったことはない。

第二は新しい分野への拡張である。いわゆる伝統3分野(家族、地域、職場)、家族(松原、山本)、農村(蓮見)、都市(奥田道大)、産業・労働(石川晃弘)に、教育(天野郁夫)、世論(藤竹暁)、社会福祉(副田義也)が加えられた。だんだん東大出版会の「緑の講座」に近くなる反面、それぞれの記述が薄く、個性的でなくなっていく。

第三はこの本のキモ、「外国人選手」の登用である。往年の阪神のランディ・バースみたいな(僕が懐かしいのは阪急のバルボン、もう引退してましたが)。それは東洋大の奥田道大先生(事例的調査と都市)だ。とくに事例的調査法は倉沢・松原の統計的調査法と対になっていて(三番倉沢、四番奥田みたいな)、渾身の一振り、大ホームランである。そして、写真の通り125ページに見田宗介の「不幸の諸類型」が例として入ってくるのだ。

見田先生の「不幸の諸類型」は元々は有斐閣の「青の講座」の最終巻の特別企画『疎外の社会学』(1963)の成果で、それは編者たちのなかで一番若かった北川先生が東大の院生たちを動員して(折原浩、見田、三溝信、北川得意の「秀才狩り」)、マルクス主義社会学の可能性をいきいきと追求したものだった。北川先生がその昔話をしたときのうれしそうな顔!。「見田君はほんとうに暖簾に腕押しで・・・」つまりは猪武者の北川さんを軽くいなしていたということだろう。私にとって見田宗介とは「まなざしの地獄」でも『気流の鳴る音』でもなく、「不幸の諸類型」である。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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