陸軍的思考と海軍的思考:三國一朗の批評から出発して

小学生の頃家で取っていた毎日新聞に、阿川弘之が『あくび指南書』というエッセーを連載していて愛読していた。たしか第1回がお嬢さんの佐和子さんの痔の話という、サイテーなお父さんぶりを遺憾なく発揮していたが、どれかの回で三國一朗の話として、次のような話を引用していた。

旧陸軍の軍人さんと旧海軍の軍人さんの違いと言いますとネ。たとえていえば、大阪から東京までの行程を説明してくださいとお願いすると、海軍さんはそのまま大阪から東京まで説明してくださるんですよ。ところが陸軍さんは下関から話を始められる。そこが違いなんじゃないですかネ。

そんな陸軍さんに牛耳られたので日本は転落の坂を転げ落ちた。いかにも海軍びいきで鉄道狂の阿川好みの話である。小学生の私もそのままに呑み込んだ。まだ三國一朗がテレビに出ていた時代である。三國一朗、東大社会学科の大先輩である。谷川雁と1つ上か下かくらいの。

しかし最近思うのである。実は陸軍的思考も大事なのではないか、と。というか、この頃の私は、このブログにしろ授業にしろ、ほとんど陸軍的思考で海軍的思考を批判している。大阪から東京までと言われてそれをそのまま説明するのは、実は視野が浅く狭く、手っ取り早いだけなのではないか。その背景に連なる山陽筋の町々を見つけたり、調べたりすることの方が面白いし、それこそが構造というものなのではないか。

問題は海軍的思考のままで陸軍的(時間の)長さを説明してしまうことにある。それでは意味がないし、聞かされる方は退屈なだけである。退屈な話をむりやり聞かせるのは、権力者の常道である。何の話をしているのかって、私たちの世代の歴史社会学の話をしているのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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