家族で働き、食べることの難しさ:昨日の続報

昨日のケーキ屋、一口食べて残念な結果だった。スポンジがスポンジでしかない(バターが入っていないということ)。子どもは「元の人たち、どこかで元気でやっているといいね」とポツンと言う。

近頃このパターンが多い。行きつけのスーパーの近くに若い夫婦でやっているパン屋を見つけて贔屓にしていたのだが、ある日閉店の予告が。聞くと、とてもこの値段でこの味を出してはやっていけないと言う。「東京で1斤何百円も取る店とは違うんです」と主人は吐き捨てるように言った。小さな子どもが2人もいて、これからどうするんだろう。

前に書いた、元々近所のスパゲッティ屋だったのが、ナゴヤ都心でジビエのリストランテを新規開業した店。主人のさばくジビエだけでなく、奥さんのドルチェが秀逸だったが、ある時その奥さんが店から消え、主人のワンオペになって店の雰囲気が暗くなり、そして今春閉店してしまった。ときどき手伝っていた娘さんは大学生だったが、あの家族はどこへ行ったのだろう。

これもナゴヤ都心のビストロ、フランス人の主人が日本化されていない料理を出して楽しみだったが、今春閉店した。ちょっと疲れた感じの日本人の奥さんと店内ではしゃぎ回っていた幼い女の子はどこへ行ったのだろう。

最近通りすがりに訪れたサンドイッチ店、コロナにもかかわらず割合繁昌していたが、サンドイッチを作るお父さんとお母さん、レジとフロアにたつ大学生の娘たち、明らかに動きがバラバラだった。とくにお父さんの空転ぶりが気になって、味が分からなかった。いや、味も空転していた。

家族で仲良く力を合わせて働いて食べていく。結局それは幻想なのかも知れない。とくに職種がお父さんの夢であった場合、家族が付き合い続けるのには無理がある。やっぱりお父さんは外で勝手に働いた方がいいのだろうか。あるいはお父さんの夢ではなく、家族で合意して働ける仕事を見出すべきなのか。今の私には否定的な答えしか見出せない。

 

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の名古屋メシ, 見聞録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください