少子高齢社会管見:休日の散歩の間に

名古屋に越してきた18年前、家族でよく通った公園を久しぶりに訪れてみた。この辺りがすべて竹やぶと雑木林だった頃(子どもたちを乗せた明治村の機関士さんは、住所を聞いて「そんなとこはタヌキしか住んどらんかった」と笑った)の一番小高い山、つまり生産性の低い土地だったから周りを大規模公営住宅団地(名古屋では〇〇荘という)に開発されて、最後に残った溜池の回りを公園にしたところである。

休日なので家族連れが大勢出ている。バーベキュー場もあって、昼の準備の煙が上がっている。ああ18年前と同じだな、いや少しちがっている。何が? 最初はこちらが子育てを終えて親目線でなくなったからかと思ったが、どうもそうではない。入口の人の流れをよく見てちょっと分かった気がした。周りの大規模公営住宅団地から続々と家族連れが歩いてくるのである。18年前はそうではなかった。

18年前、この辺りは名古屋でも一番の人口爆発地帯だった。畑地にこぎれいな民間戸建てや分譲マンションが次々と建ち、子どもたちの通う小学校は2つに分校し、学童保育は100人近かった。ニューファミリーは皆新しいワンボックスカーに乗って、ブランドの乳母車に子どもを乗せて公園に集まった。しかし10年も経たないうちに、地下鉄が延びた隣の区の街が人気になって人口爆発は終わった。一方、大規模公営住宅団地の方はずっと高齢化と人口減少に悩んでいた。私は民設民営の学童保育の役員を何度か務めたが、区内の連絡会でつねに話題になったのは、公営住宅団地内の学童保育の子ども不足による経営難だった、ところが子どもたちが学童を終える頃には小さな変化の兆しが見えてきたのである。当時はそれが何を意味するのか、愚鈍な社会学者の私には分からなかった。

つまりは「子どもの貧困」といわれる現象の一端なのである。よく見ればお母さんお父さんだけの家族がちらほら見られるし、お父さんに仕事をしている感じのない家族もちらほら見られる。18年前、まだ少子化対策ははじまったばかりで、私は区役所で泣き落としのクサい芝居を打って子どもたちを新設の保育園にむりやり押し込んだ。それから20年、少子化対策は子どもを増やさなかったばかりでなく、生まれた子どもたちの生活水準を引き下げたのではなかったか。それは非常に深刻な政策的失敗だったのではないか。

走り回る子どもたちが大人になる頃、私たちが生きていれば老人になる頃、この国はどうなっているのだろう。増設の風呂とエレベーターの付いた昭和の団地が美しく建て変わり、核家族の呪縛から解放された多様な家族の子どもたちが笑顔で出入りするようになるのだろうか。そうなるためにはどうすればいいのだろうか。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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