思いつきと思い出の果てに:佐藤康宏氏の警句に触発されて

『UP』580号の連載「日本美術史不案内」で、美術史家の佐藤康宏氏が「思いつきと思い出しか書けなくなった人間には、研究者を名乗る資格はない」という警句を掲げられていて、膝を打った。まさにブログやSNS上の私そのものである。それでFBにそのままつぶやいた。友人や同学の方からいくつかレスポンスをいただいて、なぜこの警句に捉えられたのか、少し考えてみたくなった。

省みれば、表向きの最初の理由は嫉妬である。警句の前では自分の!退官記念論文集が師弟や同学のよき交わりによって成ったことを自慢していて、「ああ、いいな、東大の先生は!」と嫉妬したことは確かだ。もっともそれは筋違いというもので、東大だろうが何だろうが、師弟や同学のよき交わりはある人にはありない人にはないのであって、ないのはない人の問題である。私に即して言えば、あっても活かせない人の問題である。

もう一つの表向きの理由は怒りである。他人に資格があるとないとか、何を偉そうに。十歳以上年長の東大教授が偉そうでも別段不思議ではないが、もうそうした「人生の教師」的役割を、私たちは東大教授に求めていないのではないか。

しかし本当の理由は別のところにある。佐藤氏が当たり前のように提示する「思いつきと思い出」と「研究」との対照そのものが面白かったのだ。佐藤氏の文意に沿えば、「研究」とは確かな事実に基づく集合的な議論(師弟と同学のよき交わり)の蓄積に支えられた現在であり、逆に「思いつきと思い出」とは事実に基づかない孤独な妄想と、現在から逃避するために現在から行われる過去の粉飾、いうことになるだろう。ところでこの対照は、ある意味で社会と個人、あるいは社会と文化と置き換えることができるのではないか。だとすると、究極には個人の妄想的営為でしかない芸術作品とその乱雑な堆積(蓄積ではない)としての美術史に取り組む美術史家にとって、この対照はけっして当たり前のことではなく、むしろつねに自分の存在を問い直される根本問題なのではないか。翻って私にとっての社会学も、けっして「研究」に回収されない、すべきでない、事実に触発されるが事実に基づかない「思いつきと思い出」に基づく他はないのではないか。

具体例を挙げると、後期印象派などという言葉でゴッホの絵を語ることはできない。日本近代などという言葉で奥のオバァサンの話を語ることはできない。NNが「まなざしの地獄」に示した拒絶反応の理由もそこにあるし、逆に拒絶されても見田先生は屁でもなかったろう。

美術史の大家にケンカを売りたいのではない。私には、ただ「思いつきと思い出」だけについてフロイト的に考えるだけでも十分に面白いのだ。「思いつきと思い出」のうち純粋にそうである部分は意外に少なくて社会的に構築される部分の方が多く、もしそれらをすべて剥ぎ取って本当の自分にたどり着きたいなら、やはり「思いつきと思い出」に固執する他ないのではないか。

連れ合いにこの件話したら「その人、誰に向かって言っているのかしら?」。さすが社会学者、目の付けどころが違う(笑)。私の想像では、それは近頃朝日新聞にかなり怪しい「思いつきと思い出」を不定期連載している、佐藤氏の研究室の大御所、高階秀爾氏に対してかもしれない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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