天行健:近衞文麿という人への興味

「天行健、君子以自彊不息」、『易経』の卦の1つだそうである。

野口昭子『回想の野口晴哉 朴葉の下駄』(2006,ちくま文庫)に、夫晴哉に言われて父近衞文麿に「天行健」と書いてもらう話が出てくる。1945年7月敗戦のひと月前、晴哉と疎開していた新潟から軽井沢の別荘にいた父に呼ばれたとき、晴哉は彼女にそう伝言したのだった。彼女は文麿の長女だから、世が世ならば「あきらこ」とか「しょうし」と呼ばれて入内したであろう人である。

晴哉本人は随筆『大弦小弦』(1996,全生社)にその背景を記している。元々彼の道場には東郷平八郎から贈られた「千慮無惑」(ママ、不惑か?)の額が掲げられていた。それを見た文麿が「この複雑な時勢、私なら『千慮千惑』だ」と言ったので、晴哉は答えて「天行健を信じれば無慮無惑だ」。文麿「私にはまだ天行健は書けない」。

スターリンへの講和特使出発を前にして娘を別荘に呼んだ文麿に、晴哉はなぜ天行健を書いてもらうよう頼んだのだろう。昭子はその点に深く思い巡らしているが、晴哉の方は届けられた書を「自信のない字」と一刀両断している。しかしそれを額装してずっと道場に掲げていたそうである。そして自らも死に臨んではじめて「天行健」と書いた。

私は若い頃「電力の鬼」松永安左エ門を研究したときに(何の研究?)、松永がひどく文麿を嫌っていたので、それを鵜呑みにして彼のことを軽んじていた。この間ふと上記のことを思い出して、それはそれで面白い人物だったのだな、と興味が出た。

ちなみに世に知られる文麿の絶筆は「松上雪」だそうである。冬中常磐の松を覆い、春が来れば消えていく白雪ということか。あまりに軽薄な虚言と言えば言えるが、本人には深刻な誠実があったにちがいない。そこが面白いのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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