小津安二郎の迷宮:『彼岸花』再見

同僚には「妾宅」と言われるがそんな甲斐性はなく、東京の下宿に泊まる夜はただ片付かない雑用を眠たくなるまで片付けるだけである。それにも倦むとDVDやPrime videoで昔の映画を見ることがたまにある。先日久しぶりの上京の際見たのは小津安二郎監督の『彼岸花』(1958,松竹)。私が最初に見た小津映画、修士論文の合格発表の後いよいよ後戻りできなくなったと観念したときに急に見たくなって、銀座並木座に駆け込んで見たのもこれ。ひどく好きなのである。

今手元にあるのは授業資料用に買ったセルDVD、何の授業かって?見田宗介先生の『近代日本の心情の歴史』(講談社学術文庫)を紹介する時に、第二次世界大戦前の男の子の心情を想像させる材料にするのだ。DVDがないときは自分で下手な歌を唱っていた。

この映画は基本的には美人女優を見せるための映画だが、終わり近く(まるでクラシック音楽のコーダのように)突然主人公を含む男たちが唱歌「大楠公」を合唱し、そのメロディがエンドロールにも重ねられる。なぜ主人公たちは「大楠公」を唱うのだろう、というのが私の学生への問いかけである。ちなみに私のTwitterのアイコンは、この映画へのリスペクトを込めて皇居前広場にある大楠公像である。

しかし今回印象に残ったのは、「大楠公」を唱う菅原通済でも江川宇礼雄でもなくて長岡輝子だ。主人公の家の家政婦の役で、ほとんどセリフはないものの割と映っていて、とくに「おちょやん」浪花千栄子にからかわれるシーンは出色である。浪花千栄子も一応美人グループにいれれば、この映画の不美人は長岡と小料理屋「若松」の女将役の高橋とよだけである(バー「ルナ」のマダム役の桜むつ子もまあ美人グループ入れておこう)。長岡と高橋、日本新劇(左翼)女優史に燦然と輝く2人、しかし2人の向こうには、同じく美人ではないが美醜のレベルを超えてしまった神、杉村春子がいる。事実、この映画のリメイクのリメイク『秋刀魚の味』では杉村が不美人の役を凄絶に演じるのだ。

ここからが私流の「小津安二郎の迷宮」探訪である。長岡と高橋、長岡が陰、高橋が陽のダイコトミー。美人グループも田中絹代、有馬稲子の東京組が陰、浪花千栄子、山本富士子の京都組が陽。男たちも笠智衆が陰、佐分利信が陽。佐田啓二が陰、高橋貞二が陽。つまりあらゆる登場人物が陰と陽のダイコトミーの組み合せでできているのだ。それ以上に、未来の家庭に向かって結婚にいそしむ女たちが陽、過去の少年時代を追慕する男たちが陰というのが、この物語の基本構造なのである。女たちの象徴が秋の死の花「彼岸花」で、男たちの象徴が初夏の生の葉「青葉繁れる」(「大楠公」の歌い出し)であることにもヒネった面白さがある。

ああ、私は吉田民人先生の「社会学原論」講義の名調子を思い出す。T.パーソンズの「型の変数」が無限に拡張され、2分割が4分割に4分割が16分割に、まるで蝦蟇の油売りの口上だった。それぞれのダイコトミーに意味はない。ダイコトミーの繰り返し、バリエーションにこそ意味(存在理由と言うべきか)があるのだ。

もっともレヴィ=ストロース流に言えば、ダイコトミーには両者をつなぐ第三項あるいはゼロ価の項が必要だ。田中と浪花の間に長岡、有馬と山本の間に久我美子、笠と佐分利の間に中村伸郎、では女たちと男たちの間には何があるのか。その答えは主人公の名前「平山」にある。戦争を生き延びた彼は娘の結婚に駄々をこねるダメ親父でいられるが、『東京物語』(1953年,松竹)の「平山」は美しい妻原節子ひとりを残して戦死し、戦後の世界にはまったく不在である。ということで、はなはだ粗雑で唐突ではあるが、第三項とは戦死者であり、この映画の真の主題は男たちの敗戦とその後、なのである。

てな話を、とても好井裕明先生や長谷正人先生の前じゃできないな。ここだけにしとこ(笑)。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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小津安二郎の迷宮:『彼岸花』再見 への2件のフィードバック

  1. 長谷正人 のコメント:

    長谷です。すみません。読んじゃいました。『彼岸花』、わたしも最近見直しました。京都組の「トリック」大好きです。これが「未来の家庭に向かって結婚にいそしむ女たちが陽、過去の少年時代を追慕する男たちが陰というのが、この物語の基本構造」というのは大変説得的だと思いました。

    • 中筋 直哉 のコメント:

      わ、ありがとうございます! 実は先生のTwitterに刺激されています。引き続き拝読したく。

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