「歴史に抗する社会としての都市」批判:休日のドライブ風景から

連休中少しはどこかへ行きたいが、どこへ行くのもはばかられる。家族は海が見たいというので、うちからいちばん近い海に行くことにした。要は近所の川沿いに河口まで下るのである。県道59号線。

少し下ると中世の鎌倉往還と交差する。地名は古鳴海(海に成る)。さらに下ると今度は近世の東海道と交差する。地名は鳴海。そこで右折して川を渡り、名鉄本線の踏切を越え、東海道線、東海道新幹線をくぐると、もう海端の感じが出てくる。地名は星崎。昔懐かしいドームにジュースが吹き上がる自動販売機で名を馳せ、今は業務用冷蔵庫のトップメーカーの由来の土地だ。

信号待ちの間ふと脇見をすると小学校のフェンスに「伊勢湾台風記念碑」の看板が。後で調べると、この小学校の70人近い子どもの命が喪われたそうである。地名は柴田。この辺りではしばしば遠浅の浜に芝(柴)の文字が当てられる。この先は台風の後埋め立てに埋め立てを重ねた重化学工業地帯。かつて毛細血管のように張り巡らされた専用貨物線は今はすべて草に埋もれている。しかし港は死んでいない。岸壁には色とりどりの砂利が積まれ、何社もの小型運搬船が行き来する。その一角に、火力発電所のオマケとして造られた市営の庭園があって、そこが今日の目的地である。ガラガラかと思ったらけっこうな混雑。あまり長居せずに帰ってきた。

時代時代の社会は互いに無関係かもしれない。またそこに生きる人々も、伊勢湾台風に泣いた人々とコロナに惑う私とがそうであるように無関係かもしれない。しかしその堆積物である現在の都市に「歴史がない」とはいえないだろう。小学校の校庭の雑草に埋もれた記念碑のように、それはしずかに息づいている。かつて私が揚言した「歴史に抗する社会としての都市」(拙稿,2006,「地域社会学の知識社会学」『地域社会学講座1 地域社会学の視座と方法』東信堂.)が都市の皮相な一面しか捉えていないことを、休日のドライブの間に少しだけ考えさせられたのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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