社会学とは難しいものだね:奥井智之『宗教社会学』(2021,東大出版会)を読む

表題は、林恵海が若い同僚である(というか、退官した林を天下りさせて、その下に仕えさせるために福武が先に東京女子大に送り込んだ)わが師蓮見音彦に語った言葉である。蓮見先生は自分が退官間際になって、生涯地味な研究者だった林の言葉をしみじみ噛み締めたそうだ。社会学は難しい。でも、どこが?

奥井智之先生は前にも書いたが大学院時代に先輩後輩の付き合いはなく、たまたま日本社会学会の何かの委員会でご一緒したときに知遇を得た。私は先生の『社会学』(2004,東大出版会)が好きで、1年生向けのゼミを担当するときには何度か教科書で使わせていただいた。その縁でお付き合いが濃くなり、新著『宗教社会学』をご恵贈いただいたのである。

奥井先生のご本の第一の魅力はその文体である。今こうした文章を書ける社会学者はそうはいない。私も書けない。質実というか簡にして要というか、まるで原稿用紙に黒鉛筆でゆっくり書いて赤青鉛筆で削り削りしたような文章である。また話題も文学、歴史、現代事情と幅広く、さらに社会学の古典、巨人が幅広く網羅されている。そしてそれらがどれかに偏ることなく(これも厳しい推敲によることが推測される)配置されるのである。その結果、社会学としか呼びようのない独特の風貌をこの本は備えている。この境地に誰もがたどり着けるわけではないという意味で、社会学とは難しい。

しかし、読み終わって何かこれだ!と感得することがあったかというと、残念ながら私にはなかった。宗教とは〇〇であるとか、社会とは〇〇であるとか、現代とは〇○であるといった、奥井先生ならではの学説、個性、はっきり言えば偏りを読み取れない。この本の良さを知りつつ、私にとっては社会学とはそうした偏り以外の何ものでもないので、これだけの良書を通しても満足できないという意味でも、社会学とは難しい。

ただし、もしこの本に偏りがあるとすれば、それはこのテーマに取り組んだ奥井先生の姿勢そのものであろう。宗教への関心を深めざるを得なかった先生自身のライフヒストリーが、仏教系の進学校出身というだけではなく、そこここに読み取れる。私ならそうした自分の事情の周りを堂々巡りし続けるだろうが、先生は偏りのない学問の世界に開いていこうとされるのである。結局社会学者ひとりひとりの生きざまでしかないという意味でも、やはり社会学とは難しい。

最後にトリビアな話を。奥井先生の『社会学』の前に1年生のゼミで使っていたのは、福武直『日本社会の構造』(1987,東大出版会)と宮島喬編『現代社会学』(1995,有斐閣)だった。3つの教科書における、というか前2著と奥井先生の本の懸隔に、いわゆる「東大社会学」の決定的変容を見てとることができるかもしれない。そのうえ『宗教社会学』の奥付に記された版元代表者、福武直が生み育てた東大出版会の今の理事長は、他でもない吉見俊哉先生なのだ!。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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