賭け金としての家事:AI万能家事ロボット批判を反省する

先日新聞記事についカッとなってFBに下記のような罵詈雑言を記した。ちょっと経ってもう少し考えた方がよかったかも、と思うようになった。というのは、

女性だろうが男性だろうが、家事にまったく魅力を感じない、したくない自由があってよく、そのうえで誰かに自分の身の回りのことをタダでやらせるのは嫌だとなれば、家事労働者を正当な規則と賃金で(不払い労働でなく)雇うか、新聞記事にあったようなAI万能家事ロボットに頼るかすることになるだろう。そうしたオプションを道徳的に全否定するのは家事に「高過ぎる」価値づけを行っているからで(専業主婦)、それは他人にタダでやらせることによって家事に「低過ぎる」価値づけを行っている連中(オヤジ)と実は同じ地平にいるのではないか、ということだ。自分でやるか他人にやらせるか、どちらにとっても家事は身の回りに広がる「親密圏」についてのイデオロギー闘争の賭け金になっているのである。その闘技場にいる限り、ロボットにやらせて自分も他人も家事なるものすべてから解放されるといった想像力はけっして働かない。ロボットがなければ、あのユダヤ教の超原理主義者たちのように、風呂にも入らず、ヒゲも髪も伸ばし放題といった生活でもいいわけだ。

AI万能家事ロボットを妄想している大学教授サマご自身はたぶんそう考えているのではないだろうが、高度に発達した生産力によって「家事」と「家事」をめぐるイデオロギー闘争から解放された生活とは、実はあの『共産党宣言』の延長線上にある輝ける未来ではないかと、反省した次第である。

追伸:連れ合いにとって私の嫌なところの1つは、家事に固執しすぎることだそうである。自分でやっている時も、これぐらいお前もやれみたいな圧力を感じて不愉快だそうである。「まあ、超自我あるいは抑圧の委譲よねぇ」。そのせいか、私が菓子を焼き続けはじめると、すかさず外で菓子を買ってくる。

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「料理や掃除、洗濯・・・。1台のロボットが家事をすべてやってくれたらいいですね」(朝日新聞6月8日朝刊「リレーおぴにおん」欄)。ツバを吐きかけたくなるような非道い発言。1969年生まれの大学教授、AIロボット研究所長なる男の男女共同参画意識とはかくも低レベルなのか!その上この男、後半は倫理的視点の必要性などとほざいとる。
ただし趣味的に過剰な家事の軽減は必要だし、家事を通して家族や子どもを支配することもやめたほうがいいし、さまざまな障害から家事をしづらい人のための支援の仕組み(それはロボットである必要はない)はあったほうがいい。しかし家事は壊れた原発の残滓を取り出すのとは違う。

この男、お前の家事を誰がやってくれたのか、今やってくれているのか、一度鏡の前でじっと考えるべきだろう。いや俺は全部自分で(嫌々だけど)やっているというのなら、お前の父や兄はどうか考えてみるべきだろう。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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