憧れの海島棉スーツ:学生アルバイトの思い出

このヨレヨレのセットアップスーツは15年前のユニクロ物で、ある学会の庶務理事の刑期明け祝いに買って退任理事会に着ていき、その後も毎夏着てきた。ひと夏に何度も着るわけではないので、もう少し持たせたい。ただ元々はユニクロではなくて、丸善のがほしかったのだ。

大学3年生の冬、たしか研究室の助手(今の日本社会学会会長)に「丸善の営業さんがバイトを探してるんだけど、やってみない」と誘われ、二つ返事で引き受けた。仕事は丸善の「ブックニュース」(新刊洋書紹介の小冊子)の編集の手伝いで、フランス語の新刊書のリストから面白そうな本をリストアップして題名と概要を翻訳するというものだった。仏文科でもないのにやれたのは何でもアリの社会学だからだった。でも3年生には無理というもので、月二回の締切は最後まで徹夜で憂鬱だった。収入はまあまあ、ただしそれで生活するにはほど遠かった。

最初は楽しかった。何せ担当の社員さんが「むしゃぶりつきたくなるような美人」!苦しんだ挙げ句デッチ上げた仕事を渡しに行くのはまさに地獄から天国へ。半年思いを募らせた挙げ句近代美術館のマグリット展に誘い、さらに帝劇のミュージカルに誘って地下の香味屋でシチューを食べ、帰りの地下鉄で「付き合ってください」と告白。でも振られてしまった。すぐに寿退社してしまったのである。今どうしてるかな~。

その後も就職するまで続けた仕事。通うのは日本橋本店で職員用の出入り口だったが、帰りに店舗の方に出ても最初は叱られなかった。上の階には紳士用品売り場があって、夏になると海島棉のサッカー地のスーツが飾ってあった。いつか就職したら手に入れようと憧れた。実際就職すると結婚したこともあって生活は楽でなく、結局10年も経ってから、ユニクロのを買うことになったのである。その頃には丸善も昔の丸善ではなくなっていた。屋上の喫茶室で出していた「豚肉のハヤシライス」もどうなったことやら。

そんな(直接ではないが)思い出のあるスーツなのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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