幸せは口から来ない:小さな体験から

今日ある会合で隣の見知らぬ人が「今日は連れ合いが遅いので駅に迎え、弁当買って子どもも一緒に夕食にします」と言った。謙遜でも自慢でもないその言葉を聞いて、私はすなおに「いいな」と思った。

省みれば、長い間手づくりの出来たての食事にこだわりすぎていた。また家族の幸せの基盤はそこにあると思い込みすぎていた。結果多少手の込んだ手づくりの出来たての食事をいくつか用意するができるようにはなったが、そこに結実するはずの家族の幸せを確かなものとしたかというと、けっしてそうではなかった。いつも限られた時間でイライラしながら過剰な献立を揃え、ピリピリした雰囲気のなかで皆搔き込むように食べていたかもしれない。逆に弁当の買い食いや配偶者に任せきりの食事(愛妻弁当!)を軽蔑していたかもしれない。

その人はこうも言っていた。「いつもは私が焼きそばを作るんです。いつも焼きそばなのですが」焼きそばなら私も作れる。でもたいてい「材料がないから昼は(ソース)焼きそば」とか「時間がないから夜は(中華)焼きそば」で、つくる自分もわくわくしないし、食べる家族も楽しくない。

最近心の調子がかなり悪く、5年ぶりに通院することにした。ヴェテランの町医者は最初は面談だけでよいと言ったが、2回目にはやはり投薬すると言う。「私のおくすり手帳」に記した薬とまたつきあうことになった。仕事は再び増加傾向で、ながいコロナ対応も空しく(学生が対面を望んでいるってどこのこと? 誰も来ないよ、山の中まで)、何とかしないと(まあ、何ともならないのだけれど)またうつの坂を下っていくばかりだ。

ただ今回は既修者の余裕が少しあるので、この際自分が固執しているものごとを1つ1つ見直してみたく思う。食事と幸福を切り離すこともその1つだ。切り離した上で、なぜ食事と幸福のセットに固執するのか、考えてみたく思う。いつか幸福の妄想にしばられずに食事を楽しみ、食事にしばられずに家族の交流を楽しむことができればいいと思う。

 

 

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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