謹賀新年:古い交通空間の信仰の場を歩く

相模川を挟んだ厚木市上依知(かみえち)と相模原市原当麻(はらたいま)の間には今も路線バスが走る。両方に時宗の寺があり、ひと続きの説話で結びついている。上依知の瑠璃光寺はもともと村の薬師堂で、ある時一遍上人が留まって念仏を施行した。その夜一遍の枕元に薬師如来が立ち、自らの化身たる妙見菩薩を対岸に祀るよう命じた。一遍は命じられるままに妙見堂を建てたのが、原当麻の無量光寺の由縁である。無量光寺は二祖真教上人によって一遍の分骨を納めた本山となった。藤沢の清浄光寺に勢力が移るのは後のことである。

旧年の暮れ、私は2つの寺を結ぶ道を歩いたのだが、途中驚いたことがあった。瑠璃光寺のある集落にもっと大きな寺があったのだ。江戸時代の立派な二天門と釈迦堂を備えた寺の名は星梅山妙伝寺、調べると日蓮上人の生前1278年に、高弟の日源が日蓮を初世として建立したという。1278年ならば先便で触れた一遍が信濃国伴野市で踊り念仏をはじめる1年前である。

妙伝寺の方が上依知の渡しに近い。しかしその跡には室町期の時宗上人の碑がある。隣家の土蔵の紋も時宗の「折敷三文字」だ。この集落の時宗と日蓮宗の割合はどれくらいなのだろう。というより、中世の交通空間に流布したのは時宗だったのだろうか、日蓮宗だったのだろうか。またそれはなぜだったのだろうか。

先便で触れた日蓮の「龍ノ口の法難」は1271年である。『聖絵』に描かれた、同じ龍ノ口で一遍が鎌倉入りを拒まれたのは1282年である。片瀬江ノ島、境川の河口にある龍ノ口はまさに交通空間の極致である。

『聖絵』に描かれた2つの市庭のうち伴野市でない方は岡山県瀬戸内市長船(おさふね)の備前福岡市だが、現在の集落の中心にある寺(妙興寺、黒田氏や宇喜多氏の古い墓がある)がやはり日蓮宗だった。そもそも妙見菩薩は日蓮宗で信仰されることが多いのではなかったか。

史実を細かく究めて、両者を分別したいのではない。時宗と日蓮宗という2つの焦点から楕円状に広がって現在までつづく民間信仰の心と場に想像力を広げてみたいのだ。

明けましておめでとうございます。あいかわらず病気の方があまりよくないのですが、今年も何とかやっていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。

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中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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謹賀新年:古い交通空間の信仰の場を歩く への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    歩いているとき耳の奥に響いていたのは、時宗の信徒世阿弥の、交通空間の悲しみと救済を描いた能『隅田川』にインスパイアされて作曲された、Bブリテンの教会劇『カーリュー・リヴァー』だった。

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