ふらふら旅の反省、ただし懲りてない

この間から「日本農村社会学の故地を訪ねる」といいながら行き先が中世の「都市的な場」にズレてきているがそれはなぜだろう、と我がことながら不思議に思っていたところ、腑に落ちる言葉に出合った。

「基本的人権を基幹的な制度とする近代社会では、方法論的個人主義の文体が事実上の標準にならざるをえない」(佐藤俊樹「『社会』を夢見る都市」『UP』590)

噛みつきどころ満載の言葉ではあるが、何が私の腑に落ちたかというと、この「美しい国」の多くの人びとは現在に至るまで近代社会という薄皮の中身で生きてきたのであって、薄皮にしか効かない方法論的個人主義の文体は、彼女ら彼らの(歴史的に形成された)社会を実証的に解明するのには何の役にも立たない、ということだ。ただし薄皮の中身たる集団は、作動する場がムラかマチかで大いに異なるし(だから集団主義は単一の「文化の型」ではない)、今ぼんやりと感じているところを言えば、ムラかマチかといった静態的な二分法でもなければムラからマチへといった進化論でもなく、逆にマチからムラだったのではないか、ということである。マチ的な状況の永続に耐えかねた近世初期の社会がどうムラを生み出したのか、これならもう「都市的な場」という言葉の考案者である網野善彦の『無縁・苦界・楽』のテーマだし、櫻井徳太郎の『結衆の原点』も近い関心だった気がする(30年も前に読んだ本なのでうろ覚え)。

今、中世の「都市的な場」の遺跡近くに取り残された時宗や日蓮宗の寺院を訪ねると、それらがいつから私たちが知るような浄土真宗や創価学会などの「教団」の結節となっていったのか、不思議に思われる。その答えはけっしてエートスとか教理といった「精神」にも蓮如や大作先生のようなカリスマにもないだろう。別に唯物史観を持ち出すまでもない、場に作動し、場を変えていく社会の力を具体的に見出せばいいだけだ。方法論的個人主義の文体では捉えられない社会の厚みと重なりのようなものを捉える文体を見出すために、今年もまたふらふらと旅に出よう(写真は香取神宮裏の社家、本殿よりスゴみがある古さ)。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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