ネバードライブマイワーク:映画『ドライブマイカー』を観て

ずいぶん前に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の読後感としてこのブログに記したように(2016年10月12日)、私にとって村上春樹は遠い世界である。ならばやめとけばいいのに、水曜割引で安かったので話題作『ドライブマイカー』を観てきた。予想通り、共感も驚嘆も納得もスペクタクルもない映画だったが、日が経つにつれ、2つの点が黒い印象として大きくなってくる。

1つめは、この映画(原作は未読)が徹頭徹尾仕事について語っている、礼賛している点である。3つの仕事の「類型」が描かれていて、1つめはよく「クリエイティブ」といわれる仕事で主人公がそう。2つめはよく「スウェットショップレイバー」といわれる仕事で題名にあるドライバーがそう。3つめはよく「ブルシットジョブ」といわれる仕事で主人公とドライバーを結ぶ人がそう。そしてすべての土台となる哲学としてチェーホフの『ワーニャ伯父さん』が引用される。

私はこの作品世界がとても恐ろしい。3つの類型ともカルヴァン的というか、楽しいとか人の役に立つといった甘っちょろいことではなく、食べるとか食べさせるといった素朴なことでもなく、個人が精神的に生き延びるための唯一の手段であるというのである。そのうえ(それだから)仕事は完璧に超人的に成し遂げられなければならない。息がつまる。そんな世界では私は死んでしまう。低劣なラブシーンより、そうしたことを感じさせるシーンの方が、私は正視できなかった。

もう1つは題名通り自動車に乗ったり走ったりするシーンがたくさんあるのだが、私の身体感覚とズレていて気持ち悪くなることが多かった点である。私が日々小さな国産車を転がして買い物に行ったり家族を送り迎えしたりするときの身体感覚とまったく一致しない。こっちが運転がニガテだからだけかもしれないが、こっちからするとそっちのような運転が多いからニガテなんだよ、ということになる。もっとも最近トヨタ直参の自動車学校で免許を取った子どもによれば、「お父さんの運転はかなり雑」だそうである。でも、少なくともいつも右車線を走っちゃいけません。右車線は追い越し車線です。

先便の感想もすべてまとめてひとことで言うと、この世界は隅々まで「男性的」で、その「男性性」を私は心の底から怖れ、憎んでいるのだ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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