わが父の教え給いし歌:見田宗介先生逝去の報に接して

見田宗介先生の逝去の報に接して、弟子ではない私は、先生と同い年でちょうど8年前のこの時期に亡くなった父を思い出していた。

見田先生と父には性格上何の共通点もないけれども、戦後民主主義の申し子という点で深く共通していたのではないかと思う。新しい文化を認め、貪欲に吸収していくところが。きっと新制高校生の多くがそうした青春時代を送り、60年安保へとつながっていったのだろう。父は神戸高校生の頃、あの樺美智子さんらと生徒会活動に没頭し、樺さんも含め全員が浪人したらしい。学芸会の余興として生徒会役員でモリエールの『スカパンの悪巧み』を上演して演劇にハマった父は、ほんとうは早稲田の演劇科に進みたかった。しかし祖母は息子の赤化を恐れて地元大の経営学部しか許さず、そこでも父は今はなき三ノ宮の国際会館で福田善之の『長い墓標の列』を演出したが、会社に入って後は演劇からすっぱり足を洗ってしまった。

VHSのビデオデッキがわが家に導入された後、父は興味のある映画を録画してていねいに整理するという趣味を覚えた。一番忙しかった頃だから、録画してもほとんど見ていなかったのではないか。しかしそのおかげで私は3つの貴重な体験をすることができた。

1つは、ちょうど内田百閒の『阿房列車』を読み始めた高校生の頃、父が「俺も中学の頃『百鬼園随筆』が好きだった。ところで百閒原作の映画を録ってあるぞ」と言う。鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』、それまで子ども向けの映画しか見たことがなかった私にとって、これは激烈なパンチだった。暇を盗んで何度も見直した。さらに父の乏しい書架に小林信彦『日本の喜劇人』を見つけて、これにも耽溺した。清順映画を生み、追い出した日活アクションの消長の物語。

もう1つは、ある休日父が珍しく録画した映画を見ていて「何の映画?」と聞くと、「ドキュメンタリー映画として名作だそうだが、実際なかなかいいぞ」という。途中から一緒に見た私の方がはまってしまた。後でもう一度最初から見直したが、これが長いの長くないのって。やっとの事で見終えたが、実に素晴らしい映画だった。小川紳介監督の『一千年刻みの日時計』。

3つめは、父には内緒で見た。なぜかというと題名からぜったいポルノ映画だと思ったから。黒沢清監督の『ドレミファ娘の血は騒ぐ』。これもむやみに面白かった。洞口依子という個性的な女優さんの名前をすぐに覚えた。

父にとってはたくさんのコレクションの一部で、そこから私が偏食しただけなのだろうが、でもそうした作品を見逃さなかったのは、父にある種のカンがあったからだと思う。父はうれしくないかもしれないが、そのカン(だけ)を私は受け継げたのだと思う。

こちらが家族をもってから、さまざまなことで意見が合わず、死んだときは清々したとさえ思ったが、時間がたつと、それなりの距離をもって接することができるようになるのかもしれない。お父さん、ありがとう。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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