小さな映画を見る:『Kay・終点は海』

冷たい雨の降る中、谷中霊園にある教え子の墓に参った。教え子といっても18も年上で、大学院に入学したとき看護学校の教頭先生、その後看護大学の教授も務め、還暦を前に修士学位、古稀を前に博士学位を得た努力家である。いよいよ悠々自適というところで4年前に急逝された。豪快な姉御肌で、参っているとき後ろから「あら先生、どなたのお墓?お気の毒に」と出てきそうな感じがした。

帰りに下北沢の小さな映画館で『Kay・終点は海』(鯨岡弘識監督)という映画を見た。50分2本立てという変わった映画で、後半の「終点は海」の主演女優洞口依子さんをTwitterでフォローしていて知った。中身を知らずに見たが、偶然にも2本とも死者の臨在がテーマだった。映画としての出来は非常にクラシカルで、カチンコが鳴ってカメラが回る感じがよく伝わってきた(今どきの大資本映画はデジタルずくめでまったく伝わらない、スピルバーグを除いては)。

ただ、テーマについてはちょっと納得がいかないところがある。それは前半が死んだ父と娘の話、後半が死んだ息子と母の話であるところだ。どうして死んだ娘と父、死んだ母と息子ではないのだろう。いや偶々ですよ、というわけにはいかない。黒木和雄監督の『父と暮らせば』は死んだ父と娘、山田洋次監督の『母と暮らせば』は死んだ息子と母なのである。この非対称性に何か厄介な問題が隠れているにちがいない。

たった50分の映画でなぜそんなことを考えたかというと、洞口依子さんが全くお母さんぽくなく(ストーリー上お母さんぽい役柄ではないものの)、昔の伊丹十三監督の『タンポポ』の頃のままの感じがあって、そこから考えが広がったのである。『タンポポ』で若い洞口さんは海辺に佇んでいたが、この映画でも若くはないが依然若々しい洞口さんは海辺に佇んでいる。

下北沢、学生時代から苦手な町だったけれど、あいかわらずニガテ。なんで入る喫茶店、入る喫茶店皆煙モクモクなんだよう。2軒目で諦めて煙の中でコーヒーをすすることに。路上喫煙もちらほら。昭和レトロっていうんですかねえ。

https://kaytosea.studio.site/

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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小さな映画を見る:『Kay・終点は海』 への1件のフィードバック

  1. 前橋の弟子 のコメント:

    豪快な姉御肌の先輩を突然思い出しました。臨在した死者は生前のように常に笑顔でした。

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