「日本農村社会学の聖地巡礼」連載(笑)あと2回:岩手県の2つの農村

「日本農村社会学の聖地巡礼」を誰に求められるでもなくながながと連載してきたが、いよいよ最終回まであと2回となった(勝手に)。今回は岩手県の村の二本立てである。1つめは紫波郡旧煙山村、2つめは江刺郡旧増澤村、同じ岩手県でも煙山は旧南部領、増澤は旧伊達領である。北上駅でレンタカーを借りたが、ここは昔黒沢尻といって北上川の支流和賀川の北側が南部領、南側が伊達領であり、その南部領の最南端の湊町が黒沢「尻」だったということを、今回はじめて知った。地域社会学者という看板らしいが大したことないな、キミ。

さて煙山を調査した農村社会学の古典とは中村吉治編『村落構造の史的分析』(1956,日本評論新社)である。調査は1951年の科研費によるものだそうだから、小倉武一と福武直の『日本農村社会の構造分析』(1954,東大出版会)とほぼ同時期ということになる。昔先輩の玉野和志先生が誉めていて、古本屋(都丸書店!)で手に入れたものの長く積ん読になっていた。読んでみると意外なことに、それは有賀家連合論への挑戦だった。

意外というのは、東北大学の経済史教室を作った中村は有賀と同じ朝日村、同じ諏訪中学の後輩で、夏休みに帰省してくる、東大に進んだ有賀先輩からは勉強を、兵学校に進んだ有賀(幸作)先輩からは水泳を習ったという親しさなのである。だから読む前は有賀理論を地方史に当てはめただけだろうとタカを括っていた。しかしそうではなく、この調査地を勧めた、岩手郷土史界の重鎮森嘉兵衛の仕事を踏まえつつ、共有林や用水といった村落の共同の経済的基盤の変遷を詳細に探究しているのである。ああ、そうだった、大学3年生の時聴いた師匠蓮見音彦の「農村社会学」の講義の後半は、「共同体の物質的基盤」への批判を延々と話していて、同じ時期に聴いた大貫良夫「文化人類学」で、大貫先生がアンデスの用水の話をしながら「昔の農村社会学は良い仕事をしていたのに今はダメですね」と言われたのと重なって印象深かったのだった。たぶん中村の名もその時はじめて聴いたのだろう。

実際に訪れてみると、東北自動車道下りを矢巾PAスマートICで下りた真ん前が調査地の大庄屋T家の集落で、ゆるやかな東下がりの斜面(最下端が北上川)に散村的に家々が点在しているのは70年前と変わらない。ちょうど春の農作業が始まったところで田畑に人が多く出ていて、怪しまれないようにしょっちゅうあいさつをして疲れた。調査のキモである明治の用水は今も滔々と雫石川の水を流している。起こされた田んぼが田んぼの匂いをぷんぷんさせている。まだまだ現役の農村だった。

ところが集落を歩き終わって、少し離れた矢巾町の歴史民俗資料館に立ち寄ったとき驚くべきことが起こった。資料館じたいは古代の「徳丹城」の展示が主だが、1940年に村の小学校の教員が総出で調べたという『煙山村郷土教育資料』の復刻版(矢巾町歴史資料刊行会編、1991,矢巾町教育委員会)を売っていたのだ。買って宿で読んでみると中村の本と事実認定が大きくズレている。それ以上に中村はこの重要な資料を使っていない。何だこれは、面白いぞ。当分この謎解きに時間を費やすことになるだろう。あらかじめ解答予想を言っておけば、社会学と歴史学の交差点(近づくのはなく離れていく)を見出せるのではないかと、踏んでいる。

すみません、長くなったので増澤は「続く」で。

写真は明治の用水、もちろん昭和の構造改善事業で改装されています。岩手富士が何とも美しい!

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 尊敬する先輩たち, 私の「新しい学問」, 見聞録, 読書ノート パーマリンク

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