終着駅の町:中央線高尾駅周辺を歩く

高尾は、私にとっては不思議の町である。

中央線快速と京王線の終着駅(京王線は高尾山口まで行くが)なので、ちょっと離れると都営や公団の大団地が広がる。甲州街道沿いでは古い和菓子屋がせんべいや団子を売り、街道と高尾山門前の面影を残している。が、その間が問題だ。行き止まりの狭い路地に小さな木造平屋の家がびっしり張り付いている。辻には地蔵堂や庚申塔ではなく、共産党と公明党のポスターが並んで貼ってある。調べると昭和初期から町(浅川町)だったそうだから、町としての歴史は長いわけだ。

若い頃に一度だけ調査で町の方2人にお話をうかがったことがある。1人は高尾御用林の帝室林務官だった方。今農水省の研修所があるところが勤め先だったのだろう(調査では聞きそびれた)。もう1人は町会長さん。ここで思い出したいのは町会長さんの方で、彼は戦争中に縁故疎開で都心から一家で越してきて、そのまま居着いたのだと言った。「電車がありますからね、戻った家もありますけど、うちのように疎開して戻らなかった家も多いんですよ。」

私は特別の感慨をもってその話を聞いた。わが家も縁故で丹波篠山に疎開し、もう少しでそのまま居着くところだった。敗戦後3年で神戸に戻ったのは、ひとえに篠山から大阪神戸に通勤することが(平成になるまでは)不可能だったことによる。

私が下宿する駅の住宅街は空き家が多くて寂れているが、高尾は小さな平屋も含めどの家も棲み熟されて、古びているが寂れていない。不思議というのは、称賛を込めてそう言うのだ。

#左の写真は労働災害死者を慰霊する半官半民の施設「高尾みころも霊堂」。高尾駅を挟んで多摩御陵と向かい合っている。昔ゼミで見学した時、事務所の男の正職員は官僚的で不愉快だったが、管理しているおばさんたちはとても親切で、私たちの訪問をよろこんでくれた。塔の上から前年見学した多摩御陵を眺めつつ、私はここはもう1つの靖国神社だと思った。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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終着駅の町:中央線高尾駅周辺を歩く への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    林務官だった方は、戦後は都立高校の生物の先生に転職した。調査当時圏央道建設に反対していて、その話をうかがったのだ。「陛下をお護りする森に平気で穴を空ける今の役人たちは理解できない。」内田隆三先生の『国土論』を地で行く話ではないか。しかし私は職場に向かう甲府行きの電車の時間が気になって、いい聞き取り調査にならなかった。その方は帰り際ボストンバッグ一包みの運動資料をくださった。「あなたに話したのを機に私は運動をやめます。近所づきあいの手前があってね」研究室の奥にしまったままにしてしまったボストンバッグ、今年こそ開いて読み直したい。

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