最初で最小の都市:日本農村社会学の聖地巡礼最終回

「日本農村社会学の聖地巡礼」最終回は、北海道美深町恩根内、通称「恩根内市街地」である。鈴木栄太郎『都市社会学原理 初版』(1957,有斐閣)に登場する、最初で最小の都市である。25年前にこの旅をはじめたときから、最終回はここと決めていた。思えば長い旅だった。

25年前の最初の訪問地も『原理』に由来する青森県西目屋村大秋(たいあき)だった。これだけ鈴木栄太郎にこだわれば、「君は鈴木栄太郎を読んでいない」と院試で叱った富永健一先生もあの世で了としてくださるだろう。

旭川から特急と普通を乗り継いで約3時間、宗谷(本)線(今は本が取られた)恩根内駅は去年廃止される予定だったが、地元の反対で辛うじて残された。代替バスやレンタカーで訪れることもできたが、やはり「結節機関」である鉄道で降り立ってみたかった。

戦後京城帝大から引き揚げた後CIE(連合軍教育文化局)に雇われていた鈴木は、戸田貞三の東大社会学帝国主義戦略に従って北海道大学に赴任した。が、元来病弱のためほとんど調査はせず、講義も休みがちだったようだ。それでも学生たちに調査させた記録を踏まえた10年間の講義録をまとめて『原理』を書き上げた。もっとも前著の『日本農村社会学原理』も学生の調査記録と柳田国男が編んだ資料集に基づいているから、健康だったとしても調査そのものを好いてはいなかったのだと思う。

『原理』で鈴木は、助手の塚本哲人(東大社会学の付家老)が調べたブラジルの日系移民の入植地と恩根内市街地を事例に、都市という社会の最小条件を描き出す。駅や郵便局や集乳所など、それらは家々を国家につなぐ「社会的交流の結節機関」であり、その集積が都市なのだ。

21世紀の今、こうした鈴木の理論はブラジルにしろ北海道にしろ、先住民社会を無視する点で(オンネナイは日本語ではない)機能主義社会学の致命的欠陥を露呈している。その上、訪れて得心したのは、身体や生活といった具体に基礎づけられない社会理論は結局破産する他ないことだ。今や廃墟となった恩根内市街地のように。私はもう鈴木を読み返さないだろう。

こんにち、先住民たるアイヌ民族を入れずに北海道を語ることはよほどの馬鹿でなければできないことだ。というわけで、限られた時間ではあったが、恩根内の前に(官のウポポイではなく)民の川村カ子トアイヌ記念館にも立ち寄ったのである。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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最初で最小の都市:日本農村社会学の聖地巡礼最終回 への1件のフィードバック

  1. 中筋直哉 のコメント:

    左の写真、奥の白いキャビン風の建物が恩根内駅で、道がかつての市街地。建っている家はほぼ廃屋。空き地には壊された家の礎石だけが残っている

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