「怪しい隣人」補遺:脇村義太郎『回想九十年』を読む

先に「怪しい隣人」という題で、農村社会学の先人喜多野清一と生態学の巨人南方熊楠がお隣さんだったという話を書いた。その訪問で乗り降りした紀伊田辺駅で、郷土の偉人として喜多野ではなく商業史家の脇村義太郎が顕彰されていることに気づいた。帰って調べると、脇村は喜多野と同級らしい。でも、ながく非常勤暮らしが続いた「負け犬」喜多野とちがい、人民戦線事件でクビになるまでは東大出世街道をばく進し、戦後復帰した後も学士院長まで上り詰めた「勝ち組」脇村のことを調べる気にならなかったのである。

しかしやはり好奇心には勝てない。図書館で回想録『回想九十年』(1991,岩波書店)を借りてきた。これがむやみに面白い!。彼の本は学生時代に『東西書肆街考』(1979,岩波新書)を読んだことがあるのだが、都市論として読んでいたのでつまらなかった。しかし都市論ではなかった。歴史家の史料収集論なのである。日本の商業史の草分けとして、また一代の富商である父譲りの絵画コレクターとして、国内外の商業史料を手当たり次第に鑑定し、値切り、買い漁る話なのである。

さらに三・一五事件からコムアカデミー事件に至る東大マルクス主義経済学者への思想弾圧の内側を、歴史家の目で詳細に証言する。三太郎(山田義、大森義、平野義)のマルクス主義の体温差の描き方など、唸らされる。後世の継承者たちが「日本資本主義論争」と神話化したのとは全く異なる、実に人間臭い歴史が描かれている。たとえば土屋喬雄と向坂逸郎は本を全部渋澤敬三のツケで買っていたとか。

ちょっと面白かったのは、羽仁五郎は実に好意的に描くのに服部之総にはひとことも触れないところだ。三高で一年下だから知っているはずだが、たぶん生理的に嫌いだったのだろう。

肝心の喜多野については、小中同級で国立大学教授になったのは喜多野と私だけであること、三高受験の時に一高は無理そうだからと相談して一緒に三高を受けたこと、喜多野が三高時代に病気で一年留年したことだけを記している。小さな町の幼馴染みではあっても次第に交流が薄くなったのだろう。嫌な服部や大宅壮一とつるんでいるのも嫌だったのだろう。

一方「怪しい隣人」南方熊楠については、父親は南方を大嫌いだったが、父親の弟のお嫁さんになった人に結婚前の南方が惚れていたという話を記している。「怪しい隣人」は町の人気者だったのだ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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