仏に会うては:比叡山回峰記1

坂本比叡山口駅に着いたのは朝6時40分、ケーブルカーの始発まで1時間以上ある。日吉大社を訪れると、まだ拝観口が開いていなくて自由に出入りできた。東本宮、西本宮の順に見て回る。独り熱心に拝む人を何人か見かける。皆女性で、これは昨今どこの神社仏閣でも見られる現象だ。西本宮までたどり着いたので、ベンチで持参の朝食を食べることにした。

すると白装束の若い(若く見える)僧侶が一人歩いてきた。手にあのゴザを二巻にしたような独特の笠を持っている。私は神域で食事をしていることを咎められるのは面倒だと思い、先手を打って目を合わせずに「おはようございます」と言った。相手もあまり関わりたくない様子で「おはようございます」と返してきた。そして隣の建物(中身は不明)に手を合わせると、スタスタと町の方に去って行った。

去った後モヤモヤとした気持ちが残った。あの僧侶はテレビで有名になった「千日回峰行」だったのだろうか。いや、そんな必死な形相ではなかった。では普通の修業の1つなのだろうか。しかし、モヤモヤはそんな詮索からではない。もし彼が修行中に私と出合ったのなら、彼は私に仏を見、礼拝すべきではなかったか、また私も彼に仏を見、礼拝すべきではなかったか。そうでない草木国土悉皆成仏の聖地比叡山の意味とは何か。

比叡山を巡ると、最新の装備で身を固めたランナーが回峰路を疾駆しながら、路傍の石仏や五輪塔の前で柏手を打つパンパンという音が山に響き渡る。実に滑稽な情景だが、これが現代の回峰行なのだろうし、一見格好をつけたランナーの心中に回峰しなければならない理由がきっとあるのだろうが、私も含め草木国土悉皆成仏の境地は遙かに遠いように思われる(この項続く)。

左が日吉大社西本宮、右は回峰路の途中、比叡山の森の多くはスギではなくモミだそうだ。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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