最初の社会調査者:花崎皋平『静かな大地』を読む(続)

マンネリ教師は、今年も社会調査法の授業で戸田貞三の『家族構成』(1937)がどれほど画期的だったか、それに末弘厳太郎が『北支慣行調査』(1941)でどれほど厳しい批判を与えたかを飽きもせず語っている。語りながら、昨晩ウトウトしながら読んだ『静かな大地』のことが思い出されてきた。

『静かな大地』の主要な部分は松浦武四郎の蝦夷地旅行記の紹介と解説で、著者の花崎自身その偉業を称えつつ、半ば飽きている。飽きるほどたくさん歩き、ほとんど同じ記録と感想を書き連ねているのだ。野口晴哉のいう上下型の九種。とくに各地のアイヌ集落の人数を繰り返し数え上げているところに、花崎は閉口していた。もっと見たこと聞いたことがあったのではないだろうか、もっと語るべき怒りがあったのではないだろうか、と。

しかし、花崎も半ば気づいているように、それが松浦武四郎の方法なのだ。ただ人数を数え上げるだけでなく、それぞれの集落の増減とその理由も聞き出し、書き留めている。松前藩と幕府によるアイヌ絶滅政策の何よりの証拠だからだ。すべての集落で人口は激減し、消滅した集落も数知れず。それは松前藩と幕府が和人商人を使って、彼らの家族と集落を破壊し、孤立した労働力として酷使してきたからだ。もちろんアイヌも本州の農民同様逃散する。しかし逃散しても生計の場が山野河海である以上、豊かな元の猟場や漁場に戻らないでは生活は成り立たない。戻ればたちまち拉致され、別々に遠方の漁場に連行されてしまう。その現実を最も端的に表し、江戸表の幕閣や知識人に事態を認識させる証拠こそ人口という裸の数字だと、松浦は確信していたにちがいない。

戸田は『家族構成』を通して、粉飾された観念の家族主義を裸の事実の家族構成で破壊した。その70年前、同じく裸の数字によって幕末社会の虚偽を撃ったのが松浦だった。「最初の社会調査者」の尊称は、横山源之助でも高野岩三郎でもなく、松浦武四郎に冠するべきものなのである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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