つまらない顔をしてガマンしている女の子について:岸田劉生再見

ブリジストン美術館改メアーティゾン美術館(斯界ではゾン美というらしい・・・笑)の企画展を回っていたら、この絵に出くわした。昔子どもたちが幼い頃に刈谷市美術館で見た記憶がある。つまらなそうな顔をしてガマンしてモデルを務める麗子ちゃん。あの日本近代洋画史上の最高傑作「麗子微笑」のバリエーションだ。

最初に見たときは、自分が父親になったばかりだったので、劉生の目を自分ごととして体験できるうれしさに浸ったものだ。「麗子微笑」だって、父親にならなきゃその真の価値は分からない、なんて自惚れたもしたのである。

しかし子どもたちがほぼ大人になった今、見る私の心は苦い。結局子どもたちは私の父親幻想にこんな顔しながら付き合ってきただけなのではないだろうか。それはある種の児童虐待、性暴力ではなかったろうか。

むしろ私が子育てに無関心か、逆に動物のように自然に子育てできる人間だったら、そうはならなかったろう。自らの生の限界に怯え、生の象徴たる娘を描き取ることで生を味わい尽くそうとする劉生とはちがい、ちっぽけなプライド、あるいは自分の父親への反感でしかなかったけれども、自分の道具にしてしまった時点でその関わりは理不尽な暴力と言うほかない。

実際の麗子さんは立派に大人になられて、子どもの頃に亡くなった父親を冷静かつ思慕を込めて語っておられる。私の子どもたちも、いつかみじめな父親の暴力の記憶を静かに心の引き出しに片付けてくれることを祈りたい。

 

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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