人は死んだらどこへ行けばいいのか:葬送の思想史の問題

1988年、大学3年の春、私は母方の祖母の故郷巡りの旅に荷物持ちとして同行した。祖母は石川県金沢近郊の野々市の大地主の末娘で、若い頃に実家が破産したために上京して裁縫教師となったが、ほどなく異郷の兵庫県姫路市出身(生まれたのは福岡県北九州市)の会社員の妻となり、私の母を真ん中に三姉妹を育てた。夫の三回忌を済ませた後、自分が死ぬまでに思い残すことがないように、追われた故郷を訪ね歩いたのである。

実家を破産させた彼女の父(私の曾祖父)は郷土史を趣味としていて、地元の名刹、曹洞宗加賀大乗寺の歴史を調べていた。その縁から、今も大乗寺の山門の傍らに曾祖父の小さな句碑が建っている。旅行の際も祖母と叔母と私は大乗寺を訪ねた。私たちは丁重に招じられて住職と面会した。住職は一見してエラそうな人で、最初は忙しい政治家が地元の陳情団に会うような形式的な応対だった。ところが叔母が私が東大文学部の学生だと紹介したとたん、目をキラリとさせて「ワシは東北大の宗教学じゃ」と言った。私はたまたま知っていたので「堀一郎先生がいらっしゃったところでしょうか」と返したら、ツボにはまったらしくご機嫌になって色々話し始めて、予定の面談時間を過ぎてしまった。この住職が後に曹洞宗のトップとなった偉い(エラそうではなく)坊さんだったことを知ったのはずっと後のことである。

東北大学教授佐藤弘夫氏の『人は死んだらどこへ行けばいいのか』(興山舎)を読みながら、そうした昔をふと思い出した。なせかというと、かなり後半になって言及するものの、この本には柳田国男『先祖の話』の影響がほとんどない、いや避けていると言っていいくらいだからだ。先述の堀一郎は柳田の女婿で、柳田はこの秀才の学問にかなり不満があったらしい。弟子の千葉徳爾がそうした愚痴を書き留めている。とにもかくにも、そうしたことからこの本の柳田忌避が面白いなと思ったのである。

内容としても柳田忌避は徹底している。自分のイエの墓の話から書き始めるのだが、彼の先祖は在郷領主で、墓は「かつての領地だった村を見下ろす高台の中腹に」あるという。柳田が聞いたら直ちにムッとするにちがいない。以降も基本は寺や霊場の話で(月刊『住職』の連載ということもあろうが)、ムラの墓はほとんど出てこない。そうした「上から目線」にあの住職を思い出したのだ。史実とは違っていたかもしれないが、私は柳田民俗学はそうした「上から目線」との一生かけての闘いの記録だったのだと思う。

だいたい「死んだらどこへ行けばいいでしょう」なんて実に近代的な問いの立て方だ。私の父方の祖父は、盆参りのたび幼い私を郷里の山に連れて行った。だから彼が死んだとき、私は彼が神戸の寺の中筋家の墓碑にでなく、あの山の上に帰ったことを実感したのである。昔の人は自分が死んだらどこに行くか、皆知っていたはずだ。

私にムラはなく信仰もない。でも私はそのことから死後を恐れることもないし、迷うこともない。近代人である私にはもう見えないが、私の行く場所はきっと決まっている。問題はそこに行くまでにどう生きるかなのではないか。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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