山雲濤声:東山魁夷に迷い込む

先日近美でドイツの御用画家、ゲルハルト・リヒター展を見て以来、ずっと東山魁夷のことを考えている。もとよりファンではない。雨上がりの山を見て「東山魁夷」とつぶやくくらいの低俗さだ。ただ唐招提寺御影堂の障壁画「山雲濤声」だけは、何度見ても(もちろん実物ではなく画集とかテレビとかだけど)泣けてしまう。画面の下から荒波砕ける岩を眼で登っていくと突端にただ一本の蒼々とした松。それはこの画の背後に安らぐ鑑真和上の象徴であり、また画家の尊崇と思慕の集約である。私にとってはまるで映画のクライマックスのようにグッとくる絵なのである。

まずは本を読んで考えてみようと、一番手軽な『日本の美を求めて』(1976,講談社学術文庫)を読み始めた。そのなかの、まさに「山雲濤声」の章の一節に目が止まった。

「私は(1973年の)一月の寒い季節から春にかけて、青森県から、だんだん日本海側を南下しまして、ついに山口県の青海島というところまで旅をかさね、各地の風物を見たり、スケッチしたりしたわけです。また、山のほうは、初夏から夏の終わりにかけて、おもに長野県、岐阜県あるいは富山県の山や谷を旅しました」

私はまったく無関係な情景を思い出した。それは野村芳太郎監督の映画『砂の器』(1974年,松竹)のクライマックスで、幼い主人公とハンセン病を患った父が全国を巡礼するシークエンスである。バックには例の「宿命」の曲が朗々と流れる。物語上の設定は第二次世界大戦前だが、橋本忍がB班として(私はずっと山田洋次がB班監督だと思い込んでいた)撮影したのは、まさに東山が旅していたのと同じ時空だった。栄耀栄華を極めた現実の御用画家とそうなる前に殺人犯として転落してしまう架空の新進作曲家の間にどこも共通点はないが、しかし2人が漂泊した風景は同じだったのだ。もしその風景が(東山のいうように)2人の心の風景なら、2人の心もどこかで重なり合うものだったのかもしれない。

東山魁夷、もう少し考え続けたい。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000149713

 

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の「新しい学問」, 読書ノート パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください