コーヤサンでコーヤドーフ3:山中で『ゴドーを待ちながら』を読む

高野山に登ったのは、早春に日蓮聖人の「誕生」寺を訪れて以来気まぐれに続けてきた聖地巡礼をひと区切りさせたかったからで、とりわけ比叡山との対照を聖地の中を歩いて考えたかった。その結果は稿を改めたい。

それとは別に、せっかく宿坊で一泊するのだから(風呂もテレビも酒もコンビニもwifiもあるので意図的に籠もらないと籠もれないが)、仕事と直接関係ない本を1冊読みながらぼんやり考えることをしたかった。その本は、先日見た映画の元ネタであるS.ベケットの『ゴドーを待ちながら』である。『アプローズ・アプローズ』という映画、先便では半分感動半分疑問と記したが疑問の方がだんだん大きくなってきた。そこで元ネタを読みながら考えようと思ったのである。

さすが高野山は霊験あらたか(でないこともあったがそれも別稿)、全部読まないうちにだいたい疑問が解けてきて、そのまますやすや寝てしまった。やはりあの映画のクライマックスは100%まちがいで、その理由はポゾーのような主人公を英雄視すること以上に、『ゴドー』の問いの最良の部分を(原著者の好意的発言にも関わらず)破壊していることだ。待つことが終わるのも終えるのも解決(解放)ではない。実際それはけっして終わらないし終えられない。終わらない待つことを見つめて待ち続けるのが唯一かつ最終的な解決(last resort)なのだ。

いや、ネタバレにならずに書くのは全く難しい。意味不明ですみません。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 見聞録, 読書ノート パーマリンク

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