無功徳:『臨済録』のお気に入り

一遍や日蓮、最澄や空海と自分の家の宗門でないことばかり書いている。うちは父方が曹洞宗、母方が臨済宗妙心寺派である。禅、うーんあんまり興味ないな。

先日学生時代以来37年ぶりに鎌倉円覚寺を訪れたら(主たる目的地ではなかったのでこれもやる気なし)、有名な(でも見られない)国宝舎利殿の門に写真のような看板が掲げてあった。建長寺にも同じ看板が。36年前には気づきもしなかった。

『臨済録提唱』思わず笑ってしまった。笑っちゃいけません。でも『臨済録』って先生も生徒も互いに棒で殴り合ったり大声で怒鳴り合ったり、もうドリフか敏江玲児かって世界だから。今はそんなことないんだろうな。でもそれじゃ提唱じゃないんじゃない。あいかわらず禅をナメている私である。

『臨済録』、全篇殺伐としたオトコの世界だが、一篇だけ実にロマンチックな話がある。臨済の合わせ鏡のような風来坊の普化が、ある時皆に僧衣をねだる。臨済が棺桶を作ってやると、これを着てこれから死ぬという。皆が見に集まったが死なず、忘れてしまった頃に棺桶に入って行きずりの人に釘を打たせた。臨済が見に行くと棺桶の中はもぬけのカラ。「祇聞空中鈴響、隠隠而去」遠ざかっていく鈴の音が高らかに(※)空に響き渡るばかりだった、とさ。

※隠隠は文庫の注だと「かすかに」ではなく「見えないがはっきりと」の意味とのこと。

 

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 見聞録, 読書ノート パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください