都市騒乱を語る言葉:映画『暴力をめぐる対話』を見る

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まず邦題がおかしい。原題のフランス語は「お行儀のよい国家」であり(たぶん警察官が逮捕した市民に吐いた暴言が元ネタ)、英題は端的に「暴力の独占」である。映画の中身に対話はない。一方的な主張の応酬はあっても。

ちゃんと計ったわけではないがたぶん学者先生の発言が半分以上で、社会学者や歴史学者だから言うことがひと言目で予想できてしまう。実につまらん。ウェーバー、フーコー、アレント、ブルデュー、、、そうじゃないんだけどな。でも怠惰な私はそれらカビの生えた古典に代わる言葉を見つけ出すことができなかった。

学者たちの弄する言葉(使われた古典のそれも含めて)は、国家とか市民とか事実に肉薄するにはあまりに大ざっぱすぎ、事実より前に事実と無関係な規範(~すべきだ論)があり、それゆえ事実に直面している誰の立場にも立たない。逆に言えば、事実に密接する言葉を探し、外から規範を持ち込まず、事実を生きている彼女ら彼らに、彼女ら彼らを抑圧する意味に代わる新たな意味を与える言葉が必要なのだ。

映画のテーマであるフランスのジレジョーヌ(黄色いベスト)運動については、当時まじめにF2(フランスのNHK)のニュースを追いかけていた。美しい国の国営放送に比べるとマシな方だと思っていたが(たとえば大統領の演説を2分でカットしてうんざり顔のキャスターに切り替えるとか)、この映画を見ると、マスメディアはやはりある種の神話作用(大革命の伝統に連なる美しい街頭運動の物語)に加担していたことが分かる。いや大革命も血だらけでしたよね。警察に潰された目は27個だそうである。

映画の中でやはりルソーが肯定的に語られたが、このルソーこそ問題の根源だと思う。ルソーは『人間不平等起源論』で、出題された批判の対象であるホッブズを野蛮なイギリスに限られた理論と切って捨てたが、むしろルソーこそ野蛮なフランスに限られた理論ではないか。だからホッブズの国から見れば「暴力の独占」なのである。

まだまだ言いたいことは色々あるけれども、結局私はこうした研究を納得いくまで極めることができなかった。何としても20代で、死んだ気になってフランスに留学しておくべきだったと悔やまれる。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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