無功徳その2:学生時代の思い出

学生時代の思い出。木曜1限の「仏教概説」はノートを見せれば単位をもらえるという、ユルい文学部のなかでもとくに楽単だといううわさ。でもそのためでなく「仏教を概説する」という題目に惹かれて履修した。一緒に履修した友人は西本願寺末の次男坊、中学以来の親友である。

出てみると概説ではなく歴史だった。担当の助教授は「今年度は白鳳期をやる。このペースで行けば退職までに現代までたどり着くだろう」などとうすら笑いを浮かべながら言う。また「東大印哲で坊主でない教官は私がはじめてだ」などとまた笑いながら言う。文学部とはいえ、あまりに世間離れした雰囲気にげんなりしたが、一応通して出席した。一方、朝の弱い友人は早々に脱落したのである。

最澄と空海が訣別した理由のうちよく知られているのは、最澄が「理趣経」を貸すよう頼んだのを空海が断ったことである。それまで空海が新たに請来した中国の経典を次々と借りては書写していた最澄に、ここで空海がキレた。「書き写した経なんかクズじゃ!(原典は「文は是れ糟粕、文は是れ瓦礫」)」。理趣経の性愛礼賛を口伝でないと正しく理解できないからとか、最澄の真言乗っ取り計画を空海が警戒したからなどと説明されることもあるけれども、結局は二人の仏教観の対立にあったのだと思う。

最終日のノートのチェック。友人は前週に私から借りたノートを丸写しして臨んだ。まず私のチェック、助教授は一瞥して「汚いな」。そりゃそうだ。眠い目をこすりながら書いたのだ。続いて友人、「よくまとまっているな」。そりゃそうだ。元があってゆっくり写したのだから。結果は友人は優、私は良だった。私は何だか、達磨に「無功徳」と喝破された梁の武帝のような気持ちになった。

友人が西本願寺の龍谷大学の真宗学の教員になり、その助教授(もう教授だったが)の所に内地留学して本当の弟子になったのは、だいぶ先のことである。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の心情と論理, 読書ノート パーマリンク

無功徳その2:学生時代の思い出 への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    美学科の学生だった友人と一緒に履修したもう1つの科目は「日本倫理思想史」で、こちらの中身は鎌倉新仏教だった。金曜3限で眠くはない。愚禿親鸞の末である友人はもちろん、無功徳の私も優をもらえた。この科目、戦前に平泉澄が「国体学」を作れと軍部を使って圧力をかけたのを誤魔化して作った科目で、担当者は外から(京都帝大から、ただし出身は東京帝大)和辻哲郎を呼んだ(呼び戻した)といういわく付きである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください