ふるさと寒く衣打つなり:熊野から吉野へ1

修験道では熊野から吉野へ巡ることを順峯(じゅんぷ)、吉野から熊野へ巡ることを逆峯(ぎゃくふ)というそうだ。ま、天台(聖護院)と真言(醍醐寺)の政争の結果だからどうでもいい話だが。とすると、私も天台派といえるかもしれない。18日の熊野に続いて、今回も夜行バス日帰りで吉野に行ってきた。ただし熊野は車で回ったが今回は徒歩のみで3万歩あまり、よく歩きました。

もっと先にするつもりだったのが、本山修験宗金峯山寺の本尊蔵王権現(青いらしい)が仁王門の修理資金集めのご開帳だそうで、せっかくなら拝んでおこうと下心を出した。さすが権現様はお見通しで、堂内に入って目をこらしても不純な目にはまったく見えない(暗くて)。目が慣れても微かに見えるだけ(青い?)、いつまでも睨んでいてはどっちが権現様だか分からない。あきらめて堂外に出ると、後で誰かが文句を言ったのだろう、ライトが点いていた。

紅葉狩りと思われるかもしれないが、そうではない。私は先天的に紅葉がダメである。光の加減によっては茶色のグラデーションにしか見えない。でも、それなりに残った紅葉は美しかった。散り敷いた紅葉の毛氈を、啄木(きつつき)の響きを聞き、夫婦鹿の戯れを見ながら踏み敷いていくのはなかなか風流なことである(実際はバテバテ)。

金峯神社の奥に伝説の西行庵が再現されている。行ってみたらロケセットみたいな茶室に空海みたいなツラの西行が座っていた。ただその目線の先は大峰の山々が一目で、この場所が真実なら、西行はやはりエエ格好しいのスカした野郎だと思う。

西行庵からもう少し進んで大峰奥駈道の入り口、いわゆる女人結界まで登ってみた。すると辺りの吉野杉が皆伐され、眺望が開けていた。南向きに空海の記念碑がある。青年空海(たぶん私度僧)は吉野でマイ修行し、偉くなってから朝廷に高野山をおねだりする際、若い頃吉野から見て一目惚れ、と書いた(『性霊集』)。見てもどれが高野山か分からない、というか高野山じたいは山の谷間なので見えるわけがないのである。

北向きの眺望が今回一番の収穫だった。はるか遠くにいくつか大きく雲が湧いているのが見える。下に高峰があるのだ。たぶん白山か御岳だ。つまり吉野から白山、御岳は一目(ひとめえ)なのである。白山、御岳から弥彦は一目、弥彦から鳥海、羽黒は一目、そうやって修験者たちは北海道の有珠岳まで登っていったのだろう。逆にいちばん近い山は役小角の故郷葛城山。葛城から吉野というわけだ。

他にも2つほど収穫があるが、稿を改めることにしたい。

 

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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