もう1つのあの世:熊野から吉野へ2

吉野と言えば桜。シーズンを見たことがない私が吉野を論じる資格はない。ただ、この時期に行ってよかったと思う。下中上奥の千本はどこも枯れ果て、それも人工的に桜だけ植林してしまったために、山全体が白骨を積み上げたように見える。ああ、これも高野山や熊野とは異なる、もう1つのあの世の風景。

「花の下にて春死なむ」と西行が言ったように(九条兼実は『玉葉』に「有言実行で偉い」と記した)、桜は古今死の象徴だ。たとえ満開でも散る花びらは死を、あるいは仏舎利を想起させる。同じように散り枯れても梅にはそうした暗さがない。花ということばの意味が菅公の梅から西行の桜に代わった背景には、修験や念仏といった仏教の土着化があったのではないだろうか。

もっとも、よく見ると枯れ枝はすべて来春の蕾を付けているので、微かに紅を載せているようにも見える。死の風景は再生の風景でもあるのだ。そこがまた好まれたのかもしれない。熊野のように「常世の波の重浪」では、どうしようもない死が繰り返しやってくるだけだから。

興ざめな発言でまことに申し訳ないが、千本はやめた方がいいと思う。生物多様性のご時世に栽培種で山を埋めるのは、時代遅れで皆伐されていく吉野杉と変わらない。雑木林のなかにただ1本埋もれた山桜が、新緑に先んじで山の一角を紅に染める。それこそ修験者行尊の「もろともにあはれと思え山桜、花より他に識る人もなし」の境地なのではないか。

左は義経と後醍醐ゆかりの吉水神社から。右写真中央が西行庵の場所。杉を皆伐し、西行好みの桜山にする計画が進んでいる。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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