ベートーベンにたどり着く:ブラウティハムのフォルテピアノを聞く

https://www.toppanhall.com/concert/detail/202211291900.html

コンディションが万全ではないかもしれないと思われた。後半のシューベルトはまだ「おさらい」していない段階ではないかとも思われた。でもそれ以上に、この演奏家の精神はとても健全で、それがベートーベンの心にもシューベルトの心にも届かない壁になっているのではないかと思われた。

ベートーベンだってシューベルトだって元から不健全だったわけではないと思う。色々あって健全ではいられなかったのだ。だからどの曲も苦しい。その苦しさに自分の苦しさを通してたどり着かなければ、それらを演奏したとは言えない。

『熱情ソナタ』の第2楽章を聞きながら、昔聞いた「たどり着いた演奏」を思い出していた。たまたま点けたテレビが、太った、厚塗りの化粧をした男が汗だくになってそれを弾いているのを映していた。それはとても苦しい、悲しい演奏だった。絞り出すような、でもどこかで諦めているような微かな声。レオニード・ゲルバー。あれほどの演奏を後にも先にも聞いたことがない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
カテゴリー: 私の心情と論理, 見聞録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください