折原サークルの端くれとして

先便で自分のことを「折原サークルの端くれ」と書いたが、本当は端くれほどでもないのだ。折原先生からみれば、きっと私は毎年東大駒場の900番教室を通り過ぎていく、たくさんの受験秀才の1人に過ぎなかっただろう。その1人を覚えてくださっているだけで、奇蹟のようにありがたい。折原先生が東大を退官される直前、私は例の北川隆吉先生(また出た!)のメッセンジャー(鞄持ちやらメッセンジャーやら・・・)として電話をかけたことがある。わたしはおそるおそる「覚えてくださっているでしょうか」と申し上げたら、折原先生は「もちろん、覚えていますよ」とおっしゃった。

900番教室の教養科目の「社会学」は月曜の3時限で、ワンダーフォーゲル部に属して日曜の最終で帰山することが多かった私には、毎回睡魔との戦いだった。しかし居眠りの合間に耳に入ってくる折原先生の講義、『デュルケームとウェーバー』のデュルケームの部分は、不思議な魅力に満ちていた。昔の教養科目は高校程度のレベルで「般教」と馬鹿にされていたとかいう人がいるが、それは嘘だ。私が受けた「国語学」は橋本・時枝論争の話だったし、「宗教史」はトマス・アクィナスの文献学だった。いずれも知識も語り方も、私の母校灘高には全くないものだった。講義の終わりに、折原先生は今年はデュルケームしかできなかったので、来年『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を講読する演習をやりますとおっしゃった。私は即座に参加しようと思った。

第一回の演習に参加すると、中規模の教室に100人近い学生がひしめいていた。折原先生は簡単なガイダンスの後、「来週はじめの部分を読んできてください」とおっしゃって解散された。次の回、何の予習もせずに参加した私を、折原先生はなぜか(名簿があったのかどうか思い出せない、対面で当てられたのかもしれない)指名した。70人近い学生の中に立たされた私は、真っ赤になって、小声で「予習してきませんでした」と言った。同じく予習していない、周りの学生の安堵と軽蔑の視線が集中してくるような気がした。その時折原先生は、静かに「大学の学問はそういうものじゃありません」とおっしゃった。私は、雷に打たれて落馬したサウロのように、はじめて大学に来た意味を教えられたような気がした。それからは毎回の予習が楽しみになった。70人で始まったその演習は、年度末には私を含めて4人になっていた。

3年生になって、4人のうち3人は社会学科に進学した(うち1人は、千葉大園芸学部のフードシステム論の権威、もう1人は信仰を持つ、国際的な企業人として活躍している)。新入生歓迎会で3人とも「社会学科に進学したのは折原先生の演習に出たからです」と自己紹介した。主任の富永健一先生は、「見田君に魅せられて進学する学生は多いが、折原君に魅せられた学生が3人もいるのは珍しい」と驚かれた。その表情は、今も覚えているが、うれしそうだった。私はこの先生は折原先生を信頼しているのだなと思った。しかし、その後、私はウェーバーを深く学ばす、大学院に進学しても、折原先生の演習に参加することはなかった。それで「覚えてくださっているでしょうか」となったのである。

ウェブで私の名前を検索すると、折原先生のホームページに掲載された、先生から私あての手紙にヒットすることがある。私が『群衆の居場所』を献本したときのやりとりで、先生はていねいに私に掲載許可を求められ、私もよろこんで承ったものである。正直に言えば、気持ちとしてはやや複雑だった。ていねいに論じてくださったのはうれしいが、自分の本の欠陥が、ウェブ上にずっとさらされることになるのは、出版当初はちょっとうれしくなかった。そこで折原先生は、私の「理解社会学のカテゴリー」論文の読み方がウェーバー社会学を否定する方向に誤解していて、ウェーバー社会学には固有の群衆論が(論とまでいかなくても見方が)あるとおっしゃる。しかし私が言いたかったのは、確かに私の「カテゴリー」論文の取り上げ方は見過ごせないほどに粗雑だったが、ウェーバー固有の群衆論こそ、社会的事実としての群衆を見失わせてしまうイデオロギーの1つに他ならないということだった。この主張は、折原先生の批判を受けた後も、変わっていない。その点がなければ、私の群衆論は始まらないからだ。ちなみに、同じ対立が中野卓先生との間にもあった。有賀喜左衛門を回顧するシンポジウムで、私が「有賀社会学には群衆論がない」といったら、中野先生は「いや有賀にも、私にもちゃんとありますよ」と言われた。しかし、これも「ない」と否定するところから、私の群衆論は始まるのである。

今私は「地域社会学」や「コミュニティ・デザイン論」といった講義の序論を、ウェーバーから始めることにしている。「地域社会学」の方は『都市の類型学』を、ただし若林幹夫氏のように「定住」ではなく「非正当的支配」に注目して、「コミュニティ・デザイン論」の方は、「カテゴリー」論文ではなく「社会学の根本概念」論文の「社会的行為の四類型」および「任意団体と強制団体」に注目して論じている。「非正当的支配」の方は折原先生も同意してくださると思うが、「根本概念」の方はどうだろう。しかし、私は「カテゴリー」が「根本概念」より優位の、あるいはより根柢的な理論であるとは考えていない。2つは異なるアイデアなのだ。私見では、「カテゴリー」はマルクス主義と親和的なのに対し、「根本概念」はニーチェ哲学と親和的なように思われる。この点、ていねいに勉強して、いつか折原先生に論戦を挑んでみたい。

ひとつ残念なことは、「カテゴリー」にしろ「根本概念」にしろ、岩波文庫の翻訳がよくないことだ。これは業界では常識で、まっとうな学者なら「カテゴリー」は海老原・中野訳、「根本概念」は阿閉・内藤訳(「基礎概念」)を勧めるだろう。しかし、それらは図書館でしか手に入らない古本である。折原サークルの中心的メンバーのどなたか、両方を合本し、折原先生のご高見を踏まえつつ、読み比べられるような新刊の文庫本を手がけてくださらないものだろうか。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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折原サークルの端くれとして への1件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    旧教養課程は、第二外国語もすばらしかった。私のフランス語の担任の保苅瑞穂先生は、半年間の文法を終えた後、「後半は君たちの希望の本を読んでみよう。希望を挙げてごらん」と言われた。不勉強な私は全く思いつかず、小声で「サンテグジュペリ」と答えた。すると先生はにっこり笑って、「サンテグジュペリもいいが、カミュより難しいよ」と言われた。私は語学文学のキモに少しだけ触れたような気がした。私にできることは、こうした経験を少しでも多くの学生に伝えること、自分でもそうした経験を少しでも多くの学生に経験してもらえるよう、精進することだと思う。

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