はじめて出合った大学の先生:松田和久先生の思い出

必要があって、昔読んだ置塩信雄『経済学はいま何を考えているか』を再読していて、懐かしい名前を見つけた。置塩が神戸大学経済学部に助手として残った時、励ましてくれたのが数理経済学のゼミの先輩の松田和久だったと記してある。松田先生は私がはじめて出合った大学の先生である。

高校3年生のとき、私は文化人類学者になろうと決め、真面目に受験勉強をはじめた。周りは文化人類学なら京大か阪大に行けばと言ったが、梅棹忠夫はじめ京都学派が苦手で、恋するために上京したくて、さらに今のようにウェブで何でも分かる時代ではなかったので、東大に行って中根千枝に学ぶのだと勝手に決めてしまった(中根千枝が東洋文化研究所の教授だなんて知りもしなかった)。はじめて文化人類学を知った岩波新書『文化人類学への招待』の著者、山口昌男の東京外大でもよかったのだが、どうせなら山口の母校でもある東大に行こうと思った(山口が国史学科出身だなんて知りもしなかった)。父は、私が喰えないくせに尊大な人間になるのを嫌ったのだろう。ちょうど母校の神戸大学経営学部の同窓会があったので、私を同伴し、当時学部長だった松田和久先生に会わせて、諦めさせようとした。私は数学が苦手だったから、数理経済学者に一喝されれば諦めると思ったのだ。松田先生はたしか叔父の仲人で、父の願いを聞き入れてくださったのだろう。学部長室に通されて開口一番、「文系の学者でも数学は必須だよ」と言われた。松田先生は抽象画が趣味で、学部長室いっぱいに抽象画が掛けてあった。ところが私は逆にいかれてしまった。文系なのに数学と抽象画が好きなんて、なんて素敵なんだ。僕もこれで行こう。後の話はあまり覚えていない。父の企ては大失敗だったわけだ。

いつか一人前の学者になったら、数学的なセンスのある論文を書いて、松田先生に読んでもらおうと思っていた。しかし、松田先生は95年の神戸の震災の時に、奥様と一緒に家の下敷きになって亡くなられた。二度とお会いすることはできなかった。

松田先生の本意ではなかったかもしれないが、最初に学問の道を指し示してくださったことを、私は忘れない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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はじめて出合った大学の先生:松田和久先生の思い出 への2件のフィードバック

  1. 中筋 直哉 のコメント:

    松田先生には読んでもらえなかったが、数学的センスをめざしたことは、工学部に属したとき役に立ったと思う。鈴木嘉彦先生はじめ、数学や物理学の先生方にちゃんと話をしてもらえた。なかでも物理学の豊木博泰先生は、「中筋さんのやっていることは僕らの世界の相転移に似ている」と教えてくださった。私の本棚には、今でも「相転移」の教科書が並んでいる。

  2. 中筋 直哉 のコメント:

    父は、友人のノートを使って置塩信雄の単位を取ったが(父の実力では無理だったろう)、就職面接の時に「アカ学生」と疑われて困ったと言っていた。学生運動や労働運動が生きていた時代の話だが、大学で何を勉強したかちゃんと見ていた、当時の面接官は偉いと思う。

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