ニーチェの森に迷う:市野川容孝「反ニーチェ」を読む

『現代思想』10月号は「相模原殺傷事件特集」で、深刻で読み応えのあるものだったが、私はなかでも市野川容孝「反ニーチェ」に考えさせされた。ちょうど先便でチョムスキーのフーコー批判に触れたとき、その源泉はニーチェまで辿れるのではないかと記したが、それと響き合ったからだ。「私の社会学信条」に記したように、中学生の頃読んだニーチェの影響は、こんなにショボい私にさえあるので、あらためてそれを相対化する必要を痛感したのである。

この論文は事件の背景に、ニーチェ的思考というか物語が、私たちの社会意識に巣くっていることがあると指摘し、そのニーチェ的物語のなかではニーチェがニーチェを裏切っているところがあるのだから、ニーチェの言葉でニーチェを超えていくことができるし、それこそが今必要だと主張する。とくに最後の主張が、いわゆる思想家の多元性論(大文字の著者から小文字の著者へ)を克服しているので興味深かった。

著者の市野川さんは大学、大学院の2年先輩である。研究上のというより、ただ先輩と言った方が私にはしっくりくる。学部生時代一緒に学生自治会活動に携わったし、大学院でもやはり院生自治会をご一緒した。学部生時代、他の先輩たちと池袋で飲んで終電を逃し、新大塚の私の下宿に転がり込んで雑魚寝したことがある。そうした関係である。

大学4年生の時、市野川さんは彼の関わっていた車椅子の障がい者の介助を手伝ってくれないかと頼まれた。私は軽い気持ちで、いやふと純粋に「やってみたい」という気持ちが起こって、1月に1回24時間3交替介助の昼間の8時間という、もっとも楽なかたちで手伝うことにした。行ってみると相手の方は全障連の活動家で、色々な知人友人が出入りし、また色々なところに活動に出かけることになって、その手伝いもすることになった。障がい者が被告の裁判の支援で東京地裁に行き、青法協系の弁護士団と仲違いして、東京弁護士会館の会議室で長い時間にらみ合ったことを覚えている。最近深田耕一郎『福祉と贈与』を読みながら、その頃のことを思い出した。2年目を過ぎた頃、修士論文の執筆で余裕がないからと嘘を言って(本当は精神的にきつくなったからだった)外させてもらったが、市野川さんは嫌がらずに認めてくださった。たぶん市野川さん自身はその後もずっと介助を続けていたのではないだろうか。

市野川さんには図書館の本に書き込みをするという悪い癖があって、ある時私が借りた本に明らかに市野川さんのと分かる書き込みがあったので苦情を言うと、「俺の書き込みのおかげで読みやすくなっただろう」とニヤニヤされた。そんな市野川さんを私は嫌いではない。

10年前くらいに数年間、学部の2年生の演習で市野川さんの『社会』(岩波書店)をテキストに使っていた。この本で市野川さんは社会を「平等の構築」というコンセプトで(分析的にも、規範的にも)論じている。私はそれは日本社会学のなかで唯一無二の独創性であると思っている。私自身は社会をそうは論じないが、社会と口にするときいつも市野川さんのコンセプトが頭をよぎる。

病気になる直前、関東社会学会の理事を一緒に勤めることになった。学会にあまり熱心でなかった市野川さんが学会一内輪の働きを要する庶務理事になって、3期前の庶務理事だった私は心配した。しかし心配しなければならなかったのは私の方だった。最初の理事会で、突如ある理事が庶務理事の統括する事務局の運営方法についてながながと批判をはじめた。こういう時市野川さんはタフで、決して動じない。まいってしまったのは私だった。というのは、その理事が批判している方法は私が庶務理事のときのやり方を引きずっていて、それは東京在住ではなく、研究者養成大学に勤めていないので大学院生を手足のように使えない私だけの特例で作ったものがそのままになっていたからである。その事情を知っている理事もいたのにそのことを弁護してくれず、私自身もひと言も言い訳できないままに、目の前が真っ暗になっていった。もう病気になりかかっていたのだ。私は常務理事編集委員長だったが、次回以降理事会に出られなくなってしまい、機関誌編集の統括も不可能になってしまった。私が病気を告白すると、市野川さんは、すぐ休養するように、学会の方は心配しないように、勧めてくださった。幸い機関誌編集の方も、副編集委員長をお願いした片岡栄美先生と編集委員の方々、そして庶務理事の市野川さんのサポートで滞りなく進められたので、巻号に穴は空いていない。

そのことがずっと気重で、ご無沙汰してしまっていたが、「反ニーチェ」を読んだことをきっかけに、市野川さんにメールを書いた。市野川さんはすぐに返事をくださった。私はよい先輩を持って幸せである。

さて、最初の「反ニーチェ」に戻ると、市野川さんの主張はもっともだけれど、私は「私の社会学信条」に書いたニーチェの可能性にまだ未練を持っている。フロイトの言葉の森に迷うとき、マーラーのハーモニーの森に迷うとき、その前をニーチェが歩いているような気がしてならない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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