私はどこでどのように働いているのか:「天下り問題」以降考えていること

先日職場で学校法人の経営状況に関する説明会があったので久しぶりに参加してみた。昔はこの手の会議に「いずれ管理職になったときのために、学部長になったときのために」などと考えて参加していたが、病気持ちになった以上、それはあり得ないので(病気だろうが自殺するまでご奉公しなければクビだ、というなら別だが・・・)、ただいわゆる「天下り問題」以降、自分の職場がどんな部分社会で、そこに自分がどう組み込まれているか知っておきたいという気持ちだけで参加した。参加者のほとんどは職員で、教員出身の法人担当理事が約1時間たんたんと財務諸表を説明していく。理事が「当社は」というのに少し引っかかる。私も「あの同僚とは同期入社で」という言い方をすることがある。「同期入学」とか「同期入法人」とはいえないのでそう言うのだが、ひらたく「同じ年に着任した」と言えばいいだけなのだから、この「社」は、「私は大学教授という身分に思い上がっていませんよ」という聞き手に媚びた(よりひねった思い上がりの)表現なのだ。理事は多分そうではなく、大方の聞き手である職員の立場に立ってのことなのだろう。

財政規模として500億、例の国からの補助金というのが40億で1割に満たない。つまりこの額自体が経営にとって致命的なのではなく、設置審査とか認証評価といった制度的拘束の方がたいへんなのだ。昨今のマスコミの報道はそこを見ていない。ちなみにこの補助金は学生定員を守らないとごっそり削られる。明治以来私大は定員がザルでボロ儲けだったのが(いわゆる「日大闘争」の原因)、最近はうるさくいわれて儲けが出なくなった。でも、1割未満に過ぎない補助金を蹴って定員オーバーで行く手もあるように素人目には思うが、それができないのはやはり制度的拘束のせいなのだ。一方、寄付金が4億、金融資産運用益が4億で、これを足したものが純益(収支差額)とほぼ同じ規模。アメリカの大学とはわけがちがうとはいえ、そもそもNPOの経営として、この数字はどうなんだろう。

最後に監査人というペラペラの兄ちゃんが出てきて、「監査人は経営には口出ししません」と最初に言ったのに、経営への口出しを得意になってがなり立てていた。一般企業でもこういう不愉快な風景が見られるのではないか、と想像する。それ以上に、世の中には食うや食わずで働いている人や儲けが少ないのによいサービスを提供している会社がたくさんあるのに、こうした虚業で儲ける会社、そこで働いてたくさんの給料を掠め取るヤツがいるのは、ほんとうに悲しくなる。が、それが現代の資本主義というものなのだろう。私は、その仲間には決してならない。

中筋 直哉 について

法政大学社会学部教授。1966年神戸市生まれ。
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